今日は…?

 午前八時。腕時計をちらりと見る。
 私はいつもと同じタイミングで校門をくぐった。ヨーロッパにある有名な門に似せてつくったと、理事長ご自慢の、妙に美術的で重量感のある大理石の門だ。
 昨日と比べ、五秒早い。昨日は途中でふと、通学路途中にある弾けそうな蕾みのついた枝に目をやったことを思い出す。昨日の日中には咲いていただろう。
 胸ポケットの内側から学生カードを取り出し、校舎入り口に十台ある、一番右(壱号機)の駅の改札口のような機械――ゲートに向かう。これで出欠を取っているらしい。
 いつものゲート、いつもの行動。いつもと同じく、私の他に学生の姿は無い。
 この学園は、登校時間は八時四十五分まで、授業は九時からという大学のようなペースのため、こんな時間に登校する者はまずいない。
 私は自宅から二時間近くかけて、本数の少ない電車で通学しているため、いつもたった一人こんな時間になってしまう。
 ゲートのカード挿入口にカードを差し入れる。やり方は駅の自動改札口と同じ。
 ピピー――
 差し込んだカードが挿入口から吐き出される。もちろん、ゲートは開いていない。
 もう一度、もう一度と三度同じ動作を繰り返すがゲートは開かない。
「またか……」
 校門の近くで煙草を吹かしていた作業服姿の男が気だるそうに立ち上がり、近づいてくる。
 ここ一ヶ月、校内のハイテク機器の調子が悪い。そのため、あちこちに機械のエンジニアが朝から夕方まで立っている。ハイテク化の進んだ施設のため、調子が悪いと学業にも影響が出るからだ。
「昨日点検したばっかなんだけどな……」
 不満そうにつぶやきながら男はゲートのカバーを開ける。
 私はほかのゲートに移り、カードを差し込む。今度は一度でゲートが開いた。
 下駄箱で上靴に履き替える。その時、ふと思い出す。入学式のとき理事長が話していた話――理事長は、上靴をローラースケートにしたかったらしい。移動に便利だからと。だが、いろいろと問題があるからと教育委員会に説得されたと残念そうに語っていた。
 でも、ローラースケートなんてした事の無い私にとってはありがたい話だ。ただでさえ運動オンチの私は、上履きがローラースケートなんかだったら、きっと受験のとき、この学園を受けようとは思わなかっただろう。
 教室へ向かうため五台設置されているエレベーターの一番右(壱号機)に乗る。階段は一応あるが、そんなものは人が多いときしか使わない。

   一階  教務室・食堂
   二階  三年生のクラス・家庭科室
   三階  二年生のクラス・美術室
   四階  一年生のクラス・音楽室
   五階  図書館・書庫
   六階  体育館・柔剣道場

 私は『四』のボタンを押す。私以外には誰もその箱の中にはいない。
 チン――
 妙にレトロな音を立てて私の乗った箱は目的の階に到着する。早いなと思いながら外へ出ると
「……あれ?」
 思わず声を漏らしてしまった。
 三年生のクラスだ。私は後ろを振り返る。エレベーターは誰かに呼ばれたのか下がっていく。まだみんな来てないだろうから、良いかと思い、五台すべてのボタンを押す。
 しばらく待つがエレベーターの扉は開かない。上を仰ぎ見れば、エレベーターランプがすべて消えている。
 大きくため息をつく。また機械の故障らしい。
 ピンポンパンポン――
「校内にいる学生のみなさん、今日は機械の調子が大変悪いため、一日休校といたします。今日中に復旧するとは思いますが、復旧しない場合は連絡網にて明日の朝、休校を連絡します。連絡が無い場合は学校はあります。今日は気をつけて帰ってください。繰り返します――」
 私のクラスの担任、佐伯陽子の声だ。
 私は再び大きくため息をつき、階段へ向かって歩き始める。
 途中、廊下に設置された紙カップジュースの自動販売機の前で立ち止まる。せっかく二時間近くもかかって学校へ来たというのに、何もしないで帰るというのもむなしい。
 学生カードを差込み、
 ピピー ――
 吐き出される。
 同じ動作を繰り替えす。
 ――ブブー 
「えっ!?」
 蛍光灯の光に変わり、赤い警報ランプが点滅し始め、
 ウィン ウィン ウィン ウィン ――
 耳障りな警報音が鳴り始める。
 どうしよう、どうすれば、えっと……

 気がつけば、校門の外だった。頭の中がごちゃごちゃしている。どうやってここまできたのか記憶が無い。腕のアナログ時計を見れば、長い針は『四』を指していた。――八時二十分だ。
 ゲートの前にも、門の前にも、さっきまでいたエンジニアの姿は無い。故障は直ったのだろうか。
 駅に向かって歩き始め、私は気付いた。足にはいているのは上靴、手に鞄の姿は無い――私は慌てて胸の内ポケットを探った。いつもの感覚が無い。
 さっきのジュース販売機のところに鞄も、カードもあるんだ。戻るには……非常階段を上るしかない。ゲートをくぐるためのカードも持ってないし……? カードもなしに、どうやって私は校内から出てきたんだろう……。
 私は首を捻りつつ、校内へ引き返した。
 タントン タントン――
 コンクリートの壁に取り付けられた、無機質な鉄筋の階段に私の足音が響く。こんなところにはお金を掛けたくないらしい。
『三』と書かれたドアの前に立つ。ドアに手をかけるが中から鍵でもかかっているのだろう、開かない。
「当然か……」
 まだ、朝早い。いつもならば、授業をサボりたい学生なんかが屋上に上るためとか、カップルがこの辺りで景色を眺めるためだとかで開いているものなんだが。
 再び、私は一階にいた。教務室の先生に話して、三階の扉の鍵を開けてもらおうと思ったのだ。さっきの放送をしていたのは私の担任だったから、話は簡単につくだろう。
 教務室の窓から中を見るが、中には誰もいない。
 ……先生達はどこへ行ったのだろう?
 でも、バルコニーに出るためのドアが開いていたのでそこから中に入る。
「失礼しまーす」
 奥に先生がいるかもしれないと思い、一応声をかける。
「あのー、先生? 佐伯先生?」
 声をかけながら奥へと進む。
 一番奥の監視モニタールームを覗く。どの画面にも一人として人間が映し出されていない。まるでこの学校には私一人しかいないみたいだ。
 壁にかかったキーボックスの中を開けると、鍵がいっぱいぶら下っている。どこの鍵かわかるように名札のようなものがついてはいるが――字が汚すぎて読めない。
 仕方ないのでマスターキーをちょっと借りる事にした。三階の非常階段のドアを開けるだけだから、かまわないだろう。
 非常階段を再び上る。
『三』の扉の前へつく。
 鍵を差し込む前に、いつもの習慣でノブを回してみる。
「あれっ?」
 さっきまでは開かなかったのに、今度は開いた。せっかく持ってきたマスターキーが不要になってしまった。
 ま、いいか。と、私は中へ入る。赤い警報ランプも、うるさい警報ブザー音も無い。誰かが消したのだろう。
 さっきの自動販売機の前にきた。
「あれ?」
 再び声をあげる。
 自動販売機の傍に私の鞄は無かった。そして、私の学生カードも。もしかして、ここの警報ランプやら警報ブザーやらを消した誰かが忘れ物として持っていったのだろうか。それならば教務室へあるはずだ。入れ違いになってしまったのだろうか。
 それとも、どこかで落としてしまった……とか? 警報に慌てていて、ここから校門前までの記憶が無いのだから。
 私は鞄とカードを探しながら校内の階段を下りた。なんだか無性に空しい気分。

 再び教務室。
 相変わらず中には誰もいない。そっとマスターキーをもとの場所に戻す。
 忘れ物箱とか、先生の机の上などを見て回るが私の鞄もカードも無い。もう一度、自動販売機前から校門前までを丹念に探して歩くが見つからない。

 八時四十五分。
 どうしよう、鞄とカードがどこにも無い。まるで空中に掻き消えてしまったかのようだ。それとも誰かが拾って持っているのだろうか、どこにあるんだろう。あれが無いと帰ることが出来ない。私は携帯電話も持っていないし……。
 この町は市をあげてハイテク化を図っている。IDカードは身分証明書、健康保険書、キャッシュカード……一枚でいろいろな役割を担っている。市内の交通機関は電気バスか電車、自転車しかない。しかも、すべてにおいてお金ではなく、IDカードでお金を払う。
 つまり、この市ではテレホンカードも、図書券も、お金さえ役に立たない。IDカードを無くしたものは、再発行してもらうしかない。再発行まで一応身分証明の出来る、仮のカードは貰えるがそれはキャッシュカードの役割は無い。
 再発行にどれだけ時間がかかるのだろう……それまで私はお金の要ることは何も出来ないのだ。
 教務室の電話使おうとしたのだが……受話器をあげても音がしなかった。一台や二台じゃない。全部がだ。まるで電話線が切られてでもいるかのような……私は不吉な思いを振り払う。馬鹿馬鹿しいことを考えている暇があったら、私の鞄とカードを探し出さなくてはならない。それに、帰る方法もだ。私は、歩いて市役所に向かう。
 ハイテク化を図っているだけあって、町は区画整理され、道幅は広く、あちこちに植物や公園が多い。だが、建物は純和風の日本的な建造物が多い。不思議な空間だ。

 九時十分。市役所へついた。ぱっと見た目は純和風だが、要所要所に様々な国の様々な建築様式が取り入れられていることが見てとれる。中には銀行などに置かれている現金引き出し機のようなものが、十五台くらい設置されている。私はその一つの前に立つ。
「いらっしゃいませ」
 機械的な音声の女性の声がひっそり閑とした空間に響く。
「ご利用のボタンを押して下さい」
 私は、【IDカード】というボタンを押し、次に現れた画面内の【紛失】のボタンを押す。
「しばらくお待ち下さい」
――機械の作動音。
 待機画面ではこの街のキャラクターである、犬のラッキーがしっぽを振り、愛想を振り撒いている。
「おまたせいたしました、ただ今ご利用できません」
 世界から音が途絶え、足場が崩れ去った気がした。
 しばらくして、気を取り直し、もう一度同じ動作を繰り返した。その声は同じ響きで答えた。
 どういうことだろう? 壊れてるのだろうか……?
 私は、他の機械の前に移る。全部で同じ動作をしたが、全く同じ声しか聞くことは出来なかった。
 私は呆然と首を振る。
 どうして? どうして? どうして?
 そんな単語ばかりが頭の中を渦巻いている……

    ***

 夕闇迫る公園で、私はブランコに揺られていた。
 ……肌寒い。
 今では、もう虫の音も、鳥のさえずりさえ聞こえない。
 キーコ キーコ ――
 私はブランコをただ揺らす。
 この広い空間に独りぼっちの寂しさを紛らわせるために。
 私は一日、他人と連絡を取る、考えられる限りの方法を試した。すべては同じだった。どこにも、誰にも連絡が取れない。この町は私を残し、完全に孤立していた。
 キーコ キーコ ――
 ブランコが揺れる。
「何やってるの?」
 突然の声に、私は顔を上げた。そこには、私のクラス担任の佐伯陽子が立っている。
「今日学校サボって何やってたの?」
「……え?」
 その時の私の顔は、泣き笑いのような表情だっただろう。
「どうしたの? そんな顔して。……今日、学校来なかったでしょ?」
「どういうこと、ですか?」
 私は学校に行った。それは確かなことだ。
「どういうこと、もないでしょうに。今日は学校があったのよ、知ってたでしょ?」
 その言葉に、私はただ静かに頷いた。
「まあいいわ、遅いからもう帰りなさい」
 そう言って、彼女は公園の出口へと歩き始める。
「あの、今日は何日ですか?」
 後姿に向かって、私は何となく尋ねた。
「今日は十月一日に決まってるでしょ」
 どうしたんだろうと言った風に彼女は答え、去っていった。
「十月一日……?」
 私は何度も口の中で繰り返す。
 そして、気づく。
 今日一日、どこにも、十月一日と言う日にちは表示されていなかった。
 そのかわり、九月三十一日と……

『今日は…?』をご覧いただきありがとうございました。

■01/5/13 コンピュータネタで話を書きたくなって書いた作品。…ホラーですかね。私の書いた小説の中でまとまった形をとっていたのが、これくらいなので、書き直ししてアップしましたが…。そういえば、主人公の女の子の名前って無かったなぁ。

■2004/04/20  改稿
■2006/06/13  改稿

©2001-2014空色惑星