いつものように人に道を尋ねている時だった。
「ヴァイス!」
女の悲鳴に近い声が聞こえた。見ると通りの向こうにいる派手な女が、信じられないといった様子でこちらを見ている。こちら側にヴァイスとやらがいるのだろう。私は何となく興味を覚え、辺りをきょろきょろ見渡した。
けれど、顔も知らない人物など私にわかるわけもなく、少々失望し、もう一度その派手な女を見た。その時気付いたのだが、女の視線は私に注がれている。私はなぜか不安を覚え、女の視線から逃れるようにその場から駆け出した。
女の、悲鳴に近いヴァイスを呼ぶ声が遠ざかっていった。
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「はぁ……」
何となくため息が出る。
「残り半年か」
手にもったイチゴとチョコミントとバニラのトリプルアイスを一口かじる。
「何て不幸な人生を歩んでいるのかしら、私って、昔から不幸な女なのよ」
真赤なルージュに大きなウエーブのかかったオレンジと、白と黄色を大雑把に混ぜたような髪。真っ白なマントに、真っ赤なレースの付いたミニのボディコンスーツ、ガーター付きの真っ黒なストッキング(金糸の刺繍入り)をはき、十センチはあるかというピンヒール。それに負けない、プラチナ、ゴールド、サファイヤ、真珠、ムーンストーンにクリスタルの装飾品。
一見、いやどう見たって不幸そうには見えない女は愚痴をこぼしつづける。
「何で私がこんな不幸な目にあわなけりゃならないのかしら! それもこれもみんなあのガキが悪いって言うのに!」
ふと目を上げると、通りの向こうに見知った顔が一つ。
「……ヴァイス?」
手にもっていたアイスが道に落ちたのにも気付かず、
「ヴァイス!!」
大声で叫ぶ。
ヴァイスはきょろきょろとあたりを見回す。
なんてしらじらしい、あのクソガキが! 絶対に捕まえてやるっ!!
決意も新たにヴァイスを追おうとしたが、ヴァイスは人ごみにまぎれ、どこかへいってしまった。
「ヴァイス! どこなの?! ヴァイス!!」
いくら探しても見つからない。彼女は肩を落とし、手に残ったコーンだけのアイスを捨てた。
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気が付くと町のはずれにいた。ここまでくれば大丈夫だと辺りを見回す。あの派手な女は追ってこない。
肩で息をしながら、大木の根元へ寝転がった。
木陰でずいぶん涼しい。
いつしか私は寝入っていた。
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怪しく輝く魔法陣の周りに、真っ黒な儀式用の衣服に身を包んだ十二人の女性ばかりの魔法使いたちが、なにやら呪文を唱えながらたたずんでいる。
魔方陣の真中にいるのは、同じような格好をした十二・三歳の少年のような格好をした少女。
「儀式を行う」
魔法使い達から、少し離れた場所にいる人物の重々しい声が響く。その人物のいる場所は暗く、姿ははっきりと見えない。
少女は決意を秘めた瞳で、先ほどの声の主――彼女の父親にうなずく。
父親は少し間を置いてから、娘に頷き返し、魔法使いたちに声を掛ける。
「準備は整った。失敗は許されない」
その声に魔法使い達は誰一人、何の反応も見せず、先ほどとは少し異なる呪文を唱え始める。
「神よ……」
父親は天を仰ぎ静かに祈りの言葉を唱えはじめる。
「どうか、この国をお救いください……」
魔法使いの唱える呪文はやがて力を発揮し始め、少女のいる魔法陣は異様な気配を増していく……。
+
「ああ、どうしよう」
やっと見つけたヴァイスを逃した女は、小一時間ほどウインドウショッピングを満喫したあと、そう呟いた。
「私は死ぬの? 殺されるの?」
旅立ってから、何百回目かのセリフをこす。こぼしつつも、しっかりと屋台で買い食いをしている辺りにリアリティーは無い。彼女の傍を通り過ぎるものはその言葉に一瞬、ぎょっとして振り向くが、彼女の姿をしげしげと眺め、何事もなかったかのように通り過ぎていく。
「ああ、父上に報告して、また怒られなきゃならないのよ……」
ため息交じりに独り言を吐きつつ女は歩いていく。
+
「くしゅん」
私は起き上がって伸びをした。
日が翳り、先ほどまでの気持ちの良かった木陰も、今では肌寒く感じる。
しばらくは動きもせず、ぼうっと焦点の会わない目で街道筋を行き交う人々を眺める。
彼らが羨ましい。どこからきて、どこにゆくのか、そんなことなど考えるまでも無く知っているのだから。私はそれを知らない。
私は私を知る人を探すため、ふらふらと旅をしている。
自分がどこの誰なのかさえ知らない。わかっているのは真っ黒な服を着て、草原に立っていた日からのこと……。
あれから三年の月日が流れている。
+
儀式も後半に差し掛かってきた。
父親は不安げに儀式を見守っている。この儀式が成功しなければこの国に未来は無い。
この国は魔法によって繁栄してきた弱小国である。
現代はもう、魔法などは必要とはされていない。近隣の三つの大国は全て近代科学文明によって繁栄し、あらゆる方面で機械が活躍している。魔法などという個人の力――強弱があり、日や、気分によって異なる力など今はもう、古いのだ。
そのため、この国では娘を近隣諸国の有力者のもとに嫁がせ、息子を王にすることでこの国の平安を保ってきていた。王族の姫君は近親婚色が強いためか、優れた魔法の使い手が多い。機械化の進んだ国の有力者達は、その不思議な力を持つ姫君をこぞって妻に迎えたがった。
現国王であるパリス王は十三人の子をなした。すべて娘である。パリス王には国を継ぐべき男児が誕生しなかったのだ。近隣の国から婿を取ることになれば、いかに小国とはいえ国を巡っての権力争いが起こるだろう。そうなった時、機械化の進んでいないこの国は、この国の人々はどうなってしまうだろう。
十三番目の王女が十三歳になったとき、秘術を用い、男子として育ててきた彼女をを本物の男子に変える大掛かりな魔法の儀式を行うことにした。
後、ほんの少しで儀式は終わる。そのとき、
「はっくしゅん」
その場の空気が凍りつく。
十三番目の王女の姿は魔法陣の中にない。その場に居合わせた人々との視線は、ゆっくりとくしゃみをした女、十二番目の王女へと注がれた。
日が暮れた。
女は宿屋に部屋を取り、中から鍵をかけると魔法陣の描かれた布を広げ、呪文を唱え始めた。女の声に反応するかのように魔方陣は徐々に怪しく光を発し始める。
光の中に、パリス王の姿が浮かび上がる。
「父上、お変わりないようで」
「……ヴァイスはまだ見つからんのか?」
王は大げさに落胆してみせる。女は慌てて、
「いいえ、今日はすんでの所で逃げられました」
「ほう、それはそれは」
片手を顎にあて、頬髭をなでる。その仕草は、いらついているときの癖。
女は嫌な汗をかきつつ、言い訳がましく言葉を続ける。
「これはヴァイスに近づいた何よりの証拠。近々ヴァイスを連れ戻せるでしょう」
「連れ戻さねばわが国も、そして、お前も明日は無い」
「十分承知しております」
王の姿は徐々に薄くなり始める。このような相互に魔法力を使い、連絡をとる方法では一分ほどしか話せない。十二番目の王女である彼女は、姉妹の中でも一番魔力が低かった。
「定期連絡を怠るな」
王の姿はそれだけ口にすると、消えた。
女はじっと光の消えた魔方陣を見つめていたが、
「ヴァイスの魔法力が強すぎるから、私には見つけられないのよ!」
と、怒鳴った。
あの儀式の日、失敗する原因となった女は王から『ヴァイスを連れ戻るまで、城内から追放する』という命を下された。従者も護衛もなしに、である。表立っての捜索活動は出来ないからと、女一人にヴァイス探索が任されたのである。女の姉達は何事も無かったかのように、今では皆、決まっていた嫁ぎ先に嫁いでしまっている。
この国の命運を握る『ヴァイス』を見つけるのに、魔法力の一番弱い自分以外、頼れるものはない。
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私は野宿の支度を始めた。
薪木となる枝を呼び寄せ、燃え上がるように命じる。
果物や魚を渦中に出現させ、程よいころを見計らって、皿の上に呼び寄せる。
ある人とともに野宿をした際、これをして驚きの声をあげられた。その人によればこの力を普通の人は持っていないらしい。私としては旅に重宝するとはいえ、この力よりも記憶のほうがはるかに重要だと思うのだが、その人は大変羨ましがっていた。
腹もくちくなったので、炎に消えないよう命じておいて、弱い風の防御壁を張る。雨も風も防いでくれるテントのようなものだ。私はまどろみへと落ちてゆく。
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女は食事を済ませると、また部屋へ閉じこもり、水晶玉に向かい呪文を唱えた。中心に不思議なきらめきを見せ始めた水晶玉に向かい、
「さあ、水晶玉。私にヴァイスの居所を教えなさい」
しばらく待つが、水晶球には何の変化のきざしも表れない。女は落胆し、
「魔法力の高いヤツの居所なんて、魔法力の低い私にはわかんないのよ……」
愚痴をこぼす。
「ああ、どうしてヴァイスは私よりも魔法力が高いのかしら……高い、そうよ! ヴァイスは魔法力が高いんだもの、記憶がなくったって魔法が使えるかもしれないわ」
女は顔を輝かせ呪文を唱えはじめる。先ほどとは違う呪文。
「この辺りで魔法を使った者がいる場所を教えなさい」
今度は水晶玉の表面に大きな曇りが現れる。
「やったわ、これよ! きっとこれだわ」
女は勝ち誇ったように叫んだ。
+
肌寒さで目が覚める。薪木の炎は消えかかり、空にはうっすらと光が射し始めている。
私は空がぼうっと色づいてゆくのを見つめていたが、やおら立ち上がり、歩き始めた。
あてのない、私の記憶を探す旅はいつまで続くのだろうか。
+
「ちょっとお嬢さん、起きとくれ」
困った顔をした老人が女の眠りを妨げた。辺りはずいぶん明るい。
「……ここはどこ?」
寝ぼけまなこの女の言葉に老人は呆れた顔をし、
「ここは私の家だよ、あんたどっから入ってきたんだい?」
「私の……家?」
つぶやいて思い出す。
昨日の深夜、大騒ぎをしたため、宿を追い出され野宿をする羽目に陥ってしまった。野宿などしたことの無い女はどうしようかと迷い、とりあえず、目に止まった家の鍵を魔法でこじ開け、誰もいないベットへと転がり込んだのだ。
夜は寝るものと考えている彼女にとってこれはある意味当然の選択だった。そこまで思い出すと、女は突然大声を上げ、
「ヴァイスを捕まえないと!」
がばりとはね起きて駆け出す。
後に残された老人は、唖然と女の後姿を見送った。
終
『ヴァイス』をご覧いただきありがとうございました。〔2001/4/16〕
私が一番最初に書いた作品。はっきり言って面白くないし、世界観がつかめない。暗いだけの話です。ここにアップするさいに、書き直したんですが、ダメです。このネタで続きの話を書くことは無いです。
2004-04-20 改稿
2006-02-20 余談。「ヴァイス」ってドイツ語で「白」って意味なんですね…知らなかった。知ったのは小説書いてずいぶんしてから。適当につけた名前でしたが、すごく良い名前でした。自分でビックリ。
2006/06/13 誤字脱字訂正