Snow tale

雪の色

「お疲れ〜」
「またね〜」
 いつもの顔ぶれと別れたのは夕闇の色が濃くなった頃。といっても、最近は日が暮れるのが早い。時刻は五時前。昼が過ぎれば、夕方などなく夜がくる。昨今の小学生ならば、まだまだ家になど帰りゃしない時刻。
 マフラーを直し、歩き出そうとしたところでコートの裾を引っ張られた。見やれば一番最初に別れたはずの、シヅの顔。美少女、であるシヅが瞳に期待と興奮の輝きを乗せ、満面の笑みを浮かべた顔といったら……言葉にできない価値がある。
「どうしたの、シヅ?」
 まなじりを下げながら尋ね返した私は馬鹿じゃない。きっと誰もがそうするだろう。
「ねぇ! 今年はいつするの!」
 嫌な過去が脳裏をよぎる。乱暴にシヅの手を振り払い、家へと向かって一目散に駆けた。

 乱暴に玄関を閉め、ついでに鍵をいつもより厳重に掛ける。その音に驚いたのかジンさんが不安そうな顔で奥から出て来る。
「出入り口全部閉めて! シヅが来る!!」
 ゼェゼェと肩で息をしつつ、ドタドタと勝手口に向かう。
「うぇっ!?」
「何ィィィィ!?」
 背後から、二人の悲鳴が聞こえる。いつもながら、どこから沸いて出たのかメイさんも慌てた様子で家中の戸締り点検をはじめる。ジンさんはオロオロしているばかりで話しにならない。
 寒いので、普段から開けている戸口は少ない。が、念には念を入れなければ気がすまない。何せ相手は傍若無人のシヅなのだ。
 家中の点検が終わり、猫の子一匹家に入ってこれないことが確認できると、ようやく私も落ち着いてきた。お茶でも飲もうとリビングに足を向ける。

 華やかなテレビのおしゃべりが廊下に漏れている。テレビは茶の間に一台だけなんて、今時少数派の中に入る我が家。
「またメイさんつけっぱなし〜」
 愚痴りつつ、ドアを開けた私は凍りついた。そこに見たくもないシヅの姿を認めて。白のざっくりしたセーターに、髪は高い位置で二つ結び。スカートとおそろいの赤いチェックのリボンが可愛い。これで同い年とは到底信じられない。……じゃなくて。
「何でいるのよ!」
「何でって、友達じゃない」
 みかんを頬張りつつ言い返される、ジャイアリズム全開なお言葉。シヅの本質はこれだ。美少女の皮をかぶったジャイアン。いや、ジャイアンよりよっぽど性質が悪い。
 見た目に騙される私のような人間には悪魔、いや小悪魔のようなもの。天使の白い羽じゃなく、悪魔の黒い羽をつけたシヅ――それはそれで可愛いい。
 コタツに入ると、シヅがお茶を煎れてくれた。ここ、私のうちのはずだけれど。
「で、今年はどうするの?」
 まだその質問を繰り返すか、その口は。その問いを繰り返す間はシヅといえども憎らしい。
「二人に聞いて」
 私はシヅを無視し、チャンネルをお笑い番組からニュース番組に切り替える。政治家の汚職だとか、地域のニュースだとか……あまり興味のない内容のあとに流れる天気予報。
『今夜未明から明日の朝に掛け真冬並みの冷え込み――』
 お天気お姉さんが、ロケ先から生中継で明日の天気を読み上げてゆく。声が鼻声なのは相当寒いからだろう。
(ジンさん、メイさん間に合うかな?)
 私は次第にニュースへ意識を移し、完全にシヅのことなど忘れていた。地下から突然響いた爆発音で、不意に我に返る。
「あかん、あかんわ〜」
 悲鳴にも似た声。地下にいるはずのメイさんの声が家中に響く。
「メイさん、何があったの?」
 大きな声を張り上げ、問いかけたところである事実に気づく。
「……シヅ!」
 部屋にシヅの影も形もない。嫌な予感っていうか、確信。
 茶の間の引き戸がゆっくりと開けられ、一昔前のギャグ漫画によくあるチリチリパーマに全身真っ黒という姿でメイさんがそこにたたずんでいた。
「うわ、何、その格好」
 無闇に壁やドアに触って欲しくない。ススで黒くなりそうだから。この寒空の中、大掃除を何度もやるのは嫌だ。
 それを汲みとってくれたのか、メイさんはその場に立ったまま鋭い瞳を私に向けた。まるで、私が元凶だとでも言うように。
「何で悪魔っ子がおんねん」
 地獄のそこから響いてくるような声色に、恨みがましい瞳をしたメイさん。全身黒い中、不気味に光る眼が恐ろしい。
 普段は無駄に笑顔の人なのだけれど、シヅがかかわったときは常に全身から怒気を発生させている。まさに犬猿の仲。
「戸締りが不十分だったみたいよ」
 シヅがどこから入ってきたのかそういえば聞き出していなかった。
「それって不法侵入やん。警察や、警察に電話や」
 またテレビでいらない知識を増やしてる。
「それはできない相談です」
「わかっとるわ!」
 互いに全身でため息。愚痴愚痴言い合いたいのをぐっとこらえ、私は立ち上がる。
 現場の様子を確かめてから次の手を打たねばなるまい。とにかく今は一分一秒でも時間が惜しい時なのだから。

 地下から立ち上る妙な色の煙と、少々焦げ臭い匂い。やはりただの爆発ではなかったらしい。
「メイさん、何作ってたの?」
 後ろを歩くメイさんに、振り返らず尋ねる。間違いなくこの煙やら匂いの元凶であるメイさんはとぼけた声で、明るく、
「雰囲気作りよ」
 語尾に特大のハートマーク付で答えてくれた。予想通りの答えをありがとう。そしてバカヤロウ。
 ジンさんのソバうちもどきで作り出す品と同じものを作るため、なぜ中世魔女の研究室の雰囲気が必要なのか私には理解できない。一生できそうにない。死んだじいちゃんにもその辺を深く追求するなと言われているので、ツッコみたいがあえてツッコまない。
 地下室の中はメイさん同様、黒一色。電球は難を逃れたようだが、すすで汚れたためだろう、光は弱い。室内を見分けるには少々時間がかかった。爆発音ほど被害はなかった様子だが、それでも物が散乱している。
「ジンさん、シヅ……生きてる?」
 何と声をかけていいものかわからず、とりあえず。
 部屋の中からは低いすすり泣き。ジンさんはどうやら無事な様子。というか、人間ではない彼が死ぬわけないと自分にツッコミ。
 日ごろから黒尽くめの服を着ている彼は、部屋に溶け込みまるで居所がわからない。
「ジンさんどこ?」
「……お嬢……」
 メイさんがため息をつきつつ指差す方向に、何とか人の形を見分けほっと息をつく。姿を見ればやはり安心する。
 ずいぶんかかり、ようようシヅの姿を見分ける。どうやら気を失っているらしい。
 小柄なシヅのこと。私一人で抱きかかえられるかと思っていたが、意外に重い。寝た子は重いと聞くけれど、初めて実感。ジンさんに頭の方を持ってもらい、二人がかりで茶の間に運ぶ。
 メイさんにタオルケットを広げてもらい、そこに真っ黒なシヅを寝かす。部屋がずいぶん汚れたが、もう後の祭りだ。
「……お嬢……」
 泣き続けるジンさんが鬱陶しい。
「気ィ失っとるだけや。心配あらへん」
 不機嫌そうにメイさんは言い置くと、ジンさんを引きずって地下室へと引き上げてゆく。普段はおちゃらけてる癖に、こういうときには頼りになる。
 濡れタオルでシヅの顔だけ拭いてやる。この後、どうしたらいいのだろう?
 気を失っているシヅを見続けていても意味はないと悟ったのは、それから三十分ほどして。コーヒーでも淹れようかと立ち上がり……頭上で大きな音がした。
 地下室にいる二人には聞こえなかったとみえ、地下からあがってくる様子はない。大慌てで部屋の片付けに追われているのだろう。何せ時間がないことだし。
 私が見に行くしかないかと、ため息をつき、金属バット片手に階段を上る。師走は泥棒が多いって話だが、うちには盗られるようなものは特にない。が、見られたくないものはある。その上、警察のお世話にもなりたくないし。
「飛び道具だけは持っていませんように」
 手を組み、十字を切り、手を合わせ、複数の神様にお祈りする。多神教で無宗教な国で育った人間としては、とりあえずどなたかお一人でも私の願いをお聞き入れてくださればオッケーな気持ちで。
 ゴトリ、音は私の部屋から聞こえた。
 午前中に掃除したばかりだってのに、土足だったら正当防衛の名の下に一発殴る。硬く胸に誓い、勢いよく戸を開けた。

「……あ」
 驚いた表情でこちらを見ていたのは、近所に住まう三田さんちのおにーさん。
「……何やってんですか?」
 予想もしない人物、そしてそれが顔見知りだったって事実だってことに、私も驚きを隠せない。何で人の部屋に赤っぽいレザージャケットにパンツ、サングラスっておしゃれ着で突っ立ってるんですか。しかも土足で。
 普段、顔をあわせれば挨拶する程度の間柄。じいちゃんが生きていた頃は、三田さんちのご隠居と将棋を指したりしていたが、今はまったく交流がない。それにいくら家が近所とはいえ、うちに間違えて入ってくるなんてありえない。そもそもここ、二階だし。
「何やってんですか?」
 もう一度問いただす。
「……さぁ、俺にも何がなんだか……」
「とりあえず、靴、脱いでください」
 落ち着けば怒りが沸いてくる。三田のにーさんは慌てた様子で靴を脱ごうとあたふたし、やたら紐が多くて、脱ぎにくそうな靴を数分かかって両手に一足づつ持った。
 そういう靴を履きたがる心境が私には理解できない。
「じゃ、お帰りはこちらです」
 階段を指差す。にーさんは部屋から出ようとして、戸口で派手にひっくり返った。
「何やってんですか?」
「ここにも見えない壁がある」
「は?」
 私は部屋と廊下を何度か往復する。何も壁など存在しない。三田のにーさんはパントマイムのごときしぐさで、戸口に見えない壁があることを主張する。
「いい加減にしてください。さっさと、帰ってください」
「俺も帰りたいけど帰れないんだよ」
「ふざけてるんですか」
「ふざけてない」
「じゃあ、あると仮定しましょう」
 譲歩する。
「何でもいいから帰って下さい」
「だから、出られないんだよ。窓から出ようとしたけどだめだったし……」
 部屋を見やれば、あちこちに足跡がついている。
 おい、この部屋、今朝寒い中掃除したばっかりなんだよ。なのに何で土足で人の部屋を歩き回るんだよ。しかも、窓に近づくためって、人のベットの上まで足跡つけるってどうなんだ? 人を馬鹿にしてんのか? 普通、部屋の中では靴は脱ぐもんだろうが! ……いろいろな思いを飲み込み、
「いや、全部声に出てる」
 ツッコむ三田のにーさんを無視し、私は何事もなかった顔で、三田のにーさんを見やる。にーさんが引きつった笑みを浮かべたことを思うと、私の顔が凶悪な笑顔になっていたことは否めない。
「何でこの部屋に入ったんですか」
 そこがまず問題だった。それがわからなければ出られないという意味もわからない。
「わ、わからない。気づいたらここにいた」
 ふざけてる。
「沸いて出たとでも言うんですか?」
「知らない、本当にわからないんだ」
「じゃあ、あんたはこの部屋に血だらけの人が倒れてて、あんたの手には同じく血だらけの出刃包丁が握られてても知らぬぞんぜぬを押し通す気か? 自信満々なのか?」
「言ってることがわからない」
「わかれよ、チクショー」
 だめだ。頭に血が上って話にならない。私はすっくと立ち上がり、部屋を出る。
「おい、どこ行くんだよ」
 話にならない相手に血圧上げててもどうしようもない。騒いでるにーさんはとりあえず棚上げだ。こっちも忙しいんだから。
「ちょっと待てって」
「私が次に顔を覗かせるまでには、何としてでも帰っていてくださいね」
 満面の笑みで笑いかけてやる。後はもう知らない。ただでさえ忙しい時なのに、シヅのこともあるんだから。

 茶の間に引き返した私は、黒い、小さめの足跡がぐるぐると円を描くように歩き周り、やがて薄くなって消えているのを発見した。シヅの姿はない。あの格好でどこに行ったんだろう。そして、一体誰がこの部屋を掃除してくれるんだろ。
 帰ったのだろうか? だとしたらとても嬉しいのだけれど。玄関から上がってないので、靴が無くなってるかどうかさえわからない。地下室だろうと狙いをつけたがそこにシヅの姿はなかった。片付けはずいぶん進んでいる。
 メイさんがぶつぶつ言いながら片付ける横で、ジンさんが作業を再開してる。今年も何とか間に合うだろう。
「どないしたんですか? お嬢」
「悪魔っ子、気ぃついたんか?」
「いや、それが……」
 ここははっきり言うべきだろう。覚悟を決める。メイさんの目が怖い。
「いなくなった」
「何やて?」
「……帰ったんちゃいますか……?」
 ジンさんが平和的で夢のような発言をするが、当然無視し、
「こっちにいないとしたらどこ行ったんだろ?」
「隊長んとこか、客車車輛んとこやろな」
 やっぱり?

「おお、娘っ子。元気にしとったか」
「どこ行ってたの?」
 それは私の台詞だよ、シヅ。予想通り、シヅは隊長の元にいた。黒くなっていたはずの服はずいぶん色を取り戻している。普通のススとは違う物質のようだ。
「隊長、お久しぶり」
 挨拶して、ふと気づく。私、今年は隊長が卵からかえるの見られなかった。毎年楽しみにしてたのに。
 隊長は白い見事な翼を大きく広げ、ヒヒンと馬のようにいななく。人間で言うところの伸びを何度も繰り返しているところをみると、目覚めたばかりらしい。
 隊長に馬に似てるだなんていうと怒られるので言葉にはしない。ペガサスは馬とはまた違う生物らしい。どう見たって翼が生えた馬にしか見えないのだけれど。
 けれど、寒い時節以外は卵の中で冬眠ならぬ、夏眠してるってのは確かに馬とは違う。
「じゃあシヅ、夜になるまで寝ましょうか」
 茶の間に取って返し、冷えた体を温めるため、私とシヅは茶の間でコタツにあたりながらココアを飲む。BGMと化したテレビと、温まった体がほどよい眠気を呼び起こしてくれる。
 私のほうの準備は整ってるから、後はメイさん、ジンさんが予定時刻までに作り上げてくれるのを祈るしかない。シヅがアシスタントを務め始めてからは、つくり置きなんてものをすることはなくなった。当日、必要な分を必要なだけ作る。手作りにこだわった店ですから……とでも続けたいところだが、実情は去年のアレ以来、再発防止のためなのだ。
「シヅ、今日はそんなに量ないよ?」
「手伝う」
「……町を一周して、夜景見て終わりくらいの予定になると思うけど?」
「それでもいいよ」
「わかった」
 私は一応、仕方がないって顔をしてみせ、自室へ引き上げる。
「あれ、明かりついてる?」
 二階には誰もいないはずなのに、なぜだか私の部屋からは明かりが漏れていた。不信に思いつつも、消し忘れたのだろうと扉を開ける。
「そぅだった。三田のにーさんいたんだ」
 三白眼で睨み付けてやる。
 ちょこんと、開き戸の前に膝を抱え込んで座り込んでいる。寒さのためか顔は青白い。気弱な笑みを浮かべこちらを見返す。ちっとも可愛くない。
「……出られない、寒い……出られない、寒い……出られない、寒い……」
 呪文のように繰り返す。怖いんですけど。
「なんでこの部屋には暖房器具が無いんだよ」
「必要最低限よ。部屋なんて寝るだけなんだから、無駄なものは一切置かないの」
「シンプルを馬鹿にしてる」
 不毛な言い争いが聞こえたらしい。
「何騒いでんの?」
 一階の客室に通したはずのシヅまで顔を出す。
「あ、サンタもどき」
 シヅは三田のにーさんを指差す。
「へ?」
 素っ頓狂な声を思わず上げた私は正しいと思う。
「もどきじゃない、見習い」
 三田のにーさんは怒ったように訂正し、慌てて、
「お前、それ秘密だって言っただろ」
 シヅに食ってかかる。といっても、見えない壁に阻まれて、ぎゃーぎゃー猿のようにわめいているだけだが。
 バイトかなんかでサンタでもやってる……と考えるのが普通だが、だとすればここまで怒るのは変だ。
「三田のにーさんがサンタ?」
 シヅ同様、指差す私。三田のにーさんは真っ赤な顔で、開き直った。
「そうだよ、だからどうしたってんだよ」
「嘘、マジで? ちょービックリ」
「古っ」
 シヅにツッコまれても、この驚きを表現する言葉を他に思いつかない。
 三田のにーさんが本物のサンタ? ご近所の、その辺どこにでもいそうなにーさんがサンタだなんて誰が信じる? 誰も信じない、そんな話。でも待ってよ、サンタだってことはその赤系レザー服がサンタ衣装ってこと? 待って、子供の夢壊さないで。せめてバイト君が着てる、あの安っぽいサンタ服でも着て。最低限のマナーとして。
「……いろいろ言いたいことはあるけれど」
「全部聞かせてもらった」
「シヅ、何でそんなこと知ってるの?」
「だって、」
 と、シヅは続ける。
「去年、空飛んでるとき、サンタのソリ見た」
「え?」
 思い出そうと記憶を探るが、あいにく私にはそんなものを見かけた覚えが欠けらもない。
「そんなこと、あったっけ?」
「いたよ。遠くだったし、結構スピード出してたから、一瞬しか見えなかったけど」
「だろ? そうだよな。普通は見えないんだよ。今まで誰にも見つかったことなんてないんだよ」
 にーさんが怒ったような声をあげる。
「なのに、何であのスピードで俺の姿を見分けられるんだよ」
 シヅは可愛く首をかしげ、
「たぶん、うちが農家だから」
 意味がわからない。
 にーさんは悔しそうな顔でシヅを睨み付けている。そんな顔したところで、唯我独尊のシヅに何ら影響を与えることなんてできないのに。
「サンタのくせに変な格好してたから、妙に記憶に残ってたの」
 とどめとばかり、にーさんを指差す。
 変な格好ってのは今現在のにーさんの服装のことらしい。街中には溶け込む格好だが、サンタのそりの上では浮くだろう。
「それからしばらくして、偶然街中で同じ格好した人を見かけたの。気になって声かけたら逃げたから」
「さすがシヅ」
 壁に耳あり障子に目あり。シヅには何も隠し事なんてできない。その探究心を満たそうとする貪欲さが実に可愛らしくない。
「でも、何で出られないの?」
 無邪気に尋ねられてもわからない。私もにーさんも首を振る。
「簡単な話や」
 いつのまにかメイさんが二階に上がってきていた。
「びっくりした、何?」
 跳ねる心臓を抑え、たずねる。シヅは気づいていたのか、眉一つ動かさない。
 普段にぎやかなメイさんだが、ジンさんと同じく、やろうと思えばいつでも気配を消すことができる。こんな人と同じ屋根の下で暮らしてると心臓に良くない。
 メイさんはにーさんの顔をまじまじと見やり、
「サンタ見習い。かかったのはアンタか」
 深深とため息をつく。
「え?」
 にーさんが私の部屋から出られないのはメイさんのせいってことだろうか? でも、考えてもみればそれ以外の可能性が思い浮かばない。
「まさか十年も経って、今だに効果があるとは思わんかったわ」
「メイさん、何したんです?」
 恐る恐るたずねる。今まで、メイさんは魔女っぽいことをしてはいるが、魔女ではないと思っていた。なのに、こんなことができるともなればちょっと身構えてしまう。気に入らないからってヒキガエルに変えるとか……されても困るわけだし。
 メイさんはもう一度盛大なため息をつき、
「うちやない。アンタや」
「……私?」
 自分自身を指差す。まったく身に覚えがない。
「本当に私?」
 メイさんは大きくうなづき、
「あんた、魔女の血引いてるやん」
 何それ? 何の冗談? けれど、あたりに満ちている空気には嘘や冗談の気配がない。
「待ってよ、それ、どういうこと?」
 私は助けを求めるように尋ねた。
「アンタの母親、魔女やってん。正確にはハーフだったようやけど」
「ハーフ?」
 魔女って遺伝だったの? そもそも魔女が存在するってこと自体、始めて聞いた。いや、こんな商売しててなんなのだが。
 ハーフなら二分の一、じゃあそのの子、四分の一である私はクオーター? 混乱したままの私を置き去り、メイさんはにーさんに声をかける。
「そういうわけやけぇ悪かったなぁ、サンタ見習い」
 にっこり笑顔。にーさんはなんとも言えない顔をして、
「……いえ、あの、わかるように説明して下さい」
 同意見。
「それで、早くここから出して」
 蚊の鳴くような声で、私に向かって懇願されても知らない。わからない。
「魔女だったの?」
 シヅが興味深そうな顔で、私の顔を覗き込む。私は首を傾げ、肩をすくめる。
「両親とも、私が物心つく前に死んじゃってるからなんにも知らない」
 その場で唯一、両親のことを知っていそうなメイさんに視線を向ける。メイさんはいつものおちゃらけた雰囲気を仕方なさそうに拭い去り、シリアスな顔を作る。
「ま、いずれは話さなあかん話やと思っててんやけど、アンタぜんぜん聞いてきぃへんし、どうしようかなぁとは思っててん。都合がえぇし、今話そうか」
 眠いので、また後日……と言い出せる雰囲気ではなかった。話が長くなりそうなので、階下から椅子と石油ストーブ持ち上がる。ココアの用意し、鍋をストーブにかける。
「こういう雰囲気、肩凝るわ」
 シリアスモードをあっさり終了させ、メイさんは大きく伸びをする。
「さっき話すって言ったじゃない」
 シヅは不満顔。そんな顔も実に可愛い。
「別に面白い話やないし、あんたらには関係ない事やん。当事者は聞く気もないみたいやし」
 いきなり矛先を向けられ、私はあくびをかみ殺す。シヅ、にーさんの視線が痛い。
 メイさんの推察どおり、確かに私は話なんて聞かなくてもいいと思ってる。写真でしか顔を見たことのない両親の話をいまさら聞いたところで、どうなるって話でもない。母親が魔女のハーフであっても、私は自分が魔女であるだなんて微塵も感じたことはないし、にーさんを閉じ込めてるといわれても、私にはどうすることもできやしない。こんなことに時間を割くより、今は少しでも眠りたい。
「俺、出られないんですか?」
 にーさんが情けない声を出す。だいぶ弱ってきてるらしい。
「アンタ、何聞いてん? 問題は簡単やって言うたやん。この子が魔法を解けばえぇ話や」
「待って下さい。私は魔法なんて使えませんってば」
 私の言葉を三人は見事に無視し、私を凝視する。
「私は三田のにーさんを部屋に閉じ込めた覚えなんてないし、閉じ込めたいなんて思ったこと、欠けらもないです」
 犯人が犯行動機もないまま、犯罪を犯す……なんてこと、愉快犯でもない限りありえない。そして私は愉快犯じゃない。
「せやのうて、サンタクロースなら話はわかるやろ?」
「サンタ?」
「せや。アンタ、小さいころ、サンタを捕まえるって言うてたやん」
 沈黙が重い。平生を装おうとする努力も空しく、冷たい汗が頬をそして背を伝う。
「確かに、そんなことあったかも知れない……」
 口から吐き出す言葉と同じ速度、もしくはそれを追い越すように記憶の底から湧き出す過去。学級会の議題で「サンタクロースはいるか、いないか」なんて、今思うと可愛らしい、そして馬鹿馬鹿しい討論を行った事がある。私は「いる」派に席を置き、クラス中の大多数を占める「いない」派相手に孤軍奮闘していた。
 私が「いる」と確信している理由は単純明快。おじいちゃんの友人である三田のご隠居があまりにもサンタクロースっぽかったからだ。
 真白な髪に同じ色のヒゲはふさふさと。眉の下がった優しい顔に大きな体格。子供に話し掛ける口調はいつも優しく、明るく、面白い。
「いい子にしてたら、クリスマスにいいことがあるよ」
 口癖のように、会うたびに言われていた言葉。私がご隠居をサンタクロースだと確信した理由はたくさんあった。
 圧倒的多数を誇る「いない」派に押され気味な私はどうにかして一発逆転する手はないか……幼い私が考えた手段は簡単だった。
 証拠を提示すればいい。
 ご隠居を連れてくれば……いや、それよりもっと確実なのはサンタクロースの格好をしているご隠居を捕まえることだ。良い子の私の元には確実にサンタクロースがやってくる。私はメイさんの蔵書から『目的とする人物を捕縛する魔法』を見つけ……。

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