Snow tale

スノーホワイト

■十二月五日■

「ちくしょう……」
 世間様の行事に疎い私に、有難迷惑にもそれを気づかせてくれるのはこのエンドレスのクリスマスソングと年末セールの謳い文句。
「……もうそんな時期か」
 華やか過ぎるほどの飾りつけ、音楽、人々。
 何が楽しくてこれ程うかれているのかと問われたら、日本人は根っからのお祭り好き体質だからとしか答えようがない。なんてどこかで聞いたセリフをいまさらながらに思い出す。
 けれど純粋な日本人であるはずの私はそれを素直に喜べない。
 年末年始は悪夢だ。ただでさえ忙しいのに、それに「超」が付く日々が始まる。はっきり言って、去年死んだ爺ちゃんの後を継ぐまでこの仕事がこんなに大変だなんて思ってもいなかった。
「ばっきゃろー」
 真冬の海に叫んでやる。
 ぎょっとしたカップルが振り向き、「振られたのかしら?」なんて哀れんだ瞳で見てくるので、ギロリと蛇のような目で睨み付けてやる。
 まったくやっていられない。
 一つ重いため息をつき、きびすを返す。

***

「ただいま」
 旧式、というよりもボロい玄関の戸をガラガラ開けて家の中に声を掛ける。
「…………お帰り」
 奥の部屋から暗く沈んだ、ジンさんの声がした。
「どうしょ……もうクリスマスの時節やぁ……」
 よたよたと私を出迎えに来てくれたが、怪しい呪文でもつぶやくような様子で言葉を繰り出す。他にも何か言っていた様子だが、聞き取れなかったし、聞き取りたくも無かった。
 ぼさぼさに伸びきった髪のわりに清潔そうな身なり。いつ購入したのか分からない黒い薄手のダンガリーシャツにストレートのジーパン。時々寒くないんだろうかとちょっと心配もするが、体温の低い彼にはそれほど問題は無いらしい。
 彼はいつもは無表情、無愛想、何を考えてるかまるでわからない。けれど切羽詰ると泣き事を言い出し切れる、はた迷惑な性質。
「今年は大丈夫やて」
 ジンさんの後ろから顔を出したのはメイさん。肩までの髪に、仮面のように張り付いたような笑みを浮かべ、言葉の語尾には常にハートマークつき。色の淡いタートルネックに、事務的なスカート、薄汚れた白衣をまとっている。
 いつでもどこでも誰にでもこういう接し方。人懐こいのではあるが、どこか計算しているようにも思え時に殴りつけてやりたくもなる。
 ジンさんとメイさんって、二人を足して割ったぐらいが絶対ちょうどいい。
「で、準備はどの程度まで進んでるの?」
 私は二人に声をかける。
「まだ……全然やねん……」
 ジンさんが涙ぐみながら答え、
「もうちょっとや」
 特大の笑顔でメイさんが答える。
 二人の異なる言葉に首を傾げつつ、
「仕事の状況を確認させてもらいましょうか」
 作業部屋へと向かう。

***

 袋に詰められ、圧縮されたそれは予想していたよりも多い。
「数、足りてるんじゃないの?」
「せやから心配することあらへんって言うてんやけどね」
 とメイさん。
「そんな大雑把な仕事でええと思うてんか? 俺等の仕事は繊細で――」
「数があれば良いと私は思うけど?」
 ジンさんが熱を込めて語り始めたところで私は強制的に話をさえぎる。
 毎年のこととはいえ、仕事の大雑把なメイさんと、繊細なジンさんは揉めていたらしい。
「せやけど、こんなんあかんて」
 と近場の袋を破って中身を散乱させる。
「ジンさん!」
「こんなんでええと思うんか、お嬢は!」
 と、数袋を駄目にしたところで袋の中身を片手にとり、私に突きつける。
「ひどいやん、うちの仕事を台無しにしよってからに!」
 メイさんとともに湧き上がった怒りは、『超』粗悪品の前にに急速にしぼみ、言葉を失った。
 ジンさんから手渡され、ふわりと片手に乗せたそれは、一見してどう見ても明らかに粗悪品。もう片方の手に持ち替えようとすれば、小さな音を立てて形が崩れる。

 なんやねん、これ。
 どうつくったら、こうなるねん。
 どうやったら出来んねん。
 こんな阿呆な品が。

「この時期になってあんた、この量を作り直すっちゅーんか?」
 メイさんが笑顔のまま声を張り上げる。それはそれで怖いものがある。
「こんな粗悪品、誰が望むっちゅーねん! ワシらの仕事はもっと繊細で美しく芸術的で――」
 ちょっとマニアックなことを言い出すジンさん。いや、匠ゆえなのか?
「材料の質が落ちとるっちゅーにそんな手間隙掛けられるか、阿呆ぅっ! 昔みたいな良品作っとったら時間がいくらあっても足らへんわ」
「せやけ言うて妥協しとってもあかんやろ!」
「なんやて? アンタみたいな職人気質しとったら仕事にならんへんねん。ウチが仕事せぇへんかったら誰がこの仕事片付けられんねん!」
 毎年のパターンに巻き込まれている。確実に。
「二人とも五月蝿い!!」
 ジンさんとメイさんは肩で息をしつつ、私の顔を見る。喧嘩両成敗。どちらの言い分も正しくて、どちらも間違ってる。
「ジンさんにも一理、メイさんにも一理ある。ジンさんはもうちょっと仕事のスピードをアップさせて。メイさんはもうちょっと繊細な仕事して、ね?」
 私が微笑むと何故だかいつも喧嘩は収まる。不思議なことに。
 パンパンと手を打って、二人を仕事に追いやる。

 しぶしぶと言った様子で仕事を始めた二人だったがすぐに熱を入れ始める。二人は似ていないようで似ていると私は思う。

 ジンさんは茶色い紙袋から取り出した白い粉を蕎麦打ち用の鉢へ適量入れる。といってもこれから蕎麦を打つのではない。
 また別の袋から取り出した虹い粉、銀色の粉を少量それに加え、水を加えつつゆっくりとそれらの粉を混ぜるようにほぐしていく。途中までの肯定は蕎麦うちとほぼ同じ。
 ジンさんはの仕事はほとんど同じ事の繰り返しなのだけれど、何時間見ていても飽きることがない。

 カチン、と硝子の当たる音。私は大きなため息をつきつつ私の背後で仕事をしているメイさんを見る。雰囲気を出すためだとかいう理由でなぜだかぐるぐるの伊達めがねと薄汚れた白衣を羽織り、薄ら笑いを浮かべつつ――時にくすくす不気味に笑いながら――作っているのはジンさんと同じもの。
 どこかで手に入れてくるのか、緑色の沸き立つ液体の入ったフラスコ、薄く甘いにおいのする煙、赤紫色の液体が入った回転するビーカー。常に液体で満たされているところを見ると、これも白衣なんかと同じでただの雰囲気を出すための飾りなんだろう。
 ボン、とメイさんが右手に持った試験管から金色の煙が吹き上がり、
「出来たで♪」
 メイさんが怪しく微笑む。何でこの人は、こんな姿が板についているんだろう。
 三角フラスコの中からあふれ出す出来立てのそれを私は少し分けてもらい、念入りに見やる。確かに、今度のはまともだ。
「今度のはOK。だけど、あの粗悪品はどうやって作ったの? 作り方は同じでしょ?」
 私の問いにメイさんは怪しく微笑みながら、
「作業工程を二・三省いてん。それに全部目分量やったし」
「あぁ……」
 それ以上の言葉がつげない。

 しばらくしてジンさんのほうも出来たらしい。
 出来上がったばかりのそれはダイヤモンドのようにいろいろな色に輝いている。ジンさんは絶対天才だ。その出来に思わずため息を漏らす。
「芸術的……」
 メイさんがむっとした表情で、
「なんやの、ウチへの感想とえらい違いやね」
「メイさんもこれと同じものが作れれば言ってあげる」
 私の言葉にメイさんは何も言わない。言葉をつむげない。彼女だってジンさんの腕前は認めているのだから。

「ま、今年もぎりぎりセーフで予定量には達っせそうやね」
 メイさんが第二弾を作り始めながら、歌うように言う。
 その言葉に私は頭が痛くなる。
「今年は風邪、ひかんようにね」
 嫌味だ。
「今年は大丈夫やなぁ?」
 ジンさん、泣きそうな顔して私を見つめないでほしい。本当に心臓に悪い。
「だ、大丈夫……」
「うちらの仕事が間に合えばお嬢が風邪ひくし、うちらが間に合わん年はお嬢は元気やし……作りすぎた年は、お嬢が張り切りすぎて予定日よりも早ようまいてしまうし――」
「前向きに善処します」
「おっし、その言葉よう覚えとくわ。な、ジン」
「……あぁ」
 なんだか楽しそうに頷きあう二人。こういう時は息がぴったりだ。

■十二月十九日(一)■

 まぁ、何というかご期待通りに事は進み、私は先週寝込んでいた。噂をすれば影、なんていうからメイさんの釘刺しは私の風邪の呼び水になっていたのかも知れない。
 なんて事は本人を目の前にしては、まったく絶対言えないけれど。
「あら、平気なの?」
 玄関先で肩で息をしている私の顔を見てのメイさんの第一声。妙に親切ぶった声色が嫌味ったらしい。
「お嬢、大丈夫ですよねぇ……」
 よよよ……と私の顔を見て泣き出すジンさんは悪意が無い分、よけい性質が悪い。
「はい、今度のことはすいません、ごめんなさい、申し訳ありませんでした、以後気をつけます、絶対にこのようなことは今後無いように……」
 ここ一週間、言いなれた台詞は私の脳をかえさずともぺらぺらと口から飛び出る。なんだかどこかの政治家のようだと自分自身あきれ返りながらも。
 この忙しい時期に一週間も寝込んでいた身としては、謝り倒すしかない。子一時間ばかりそうしていただろうか、やっとメイさんの愚痴も勢いが無くなり、ジンさんも泣きつかれた表情を見せ始めたところで話を切り替える。
「で、あれは出来たの?」
 この言葉で立場は逆転。どこか遠いところを見つめ、妙に嬉しそうな笑いを浮かべるメイさん。きょろきょろと視線を泳がせ、挙動不審になるジンさん。
「あんたの看病してたんやで、そんな……」
「寝込んでいる間、ジンさんが風邪薬と栄養ドリンク、飲むゼリー、それに冷却シートを持ってきてくれていたのはしっかり記憶してるんだけれど、メイさんは何をしていたの? ちっとも顔、見せてないよね?」
「いや、あんたの記憶が朦朧としてるから――」
「朦朧としてたのは初日だけだったわよ。その間、メイさんは一体何をしていたのかしら?」
 と、とどめの一撃。まったく私の悪役ぶりもたいしたもんだ。
「や、今、作ってんねん、こんなとこで油売ってる暇無いわ。さ、作業場行くで、ジン」
「あ……う……あぁ」
 そそくさと出て行く二人。
 二人の気配がしなくなるまでじっと我慢し、深々とため息を吐いた。
「足、痺れた……」
 神妙そうな様子を見せ付けるため、玄関上がってすぐの板場でずっと正座しうなだれていたのだ。現代っ子には辛すぎるが、これが一番手っ取り早くメイさんの機嫌が直る方法でもある。
「失敗した」
 ここ数日、同じ愚痴をもらしている。

***

「ねぇ今日、暇?」
 なんて悪友のシヅに声をかけられたのが先週の金曜日。
 シヅは一見すると愛らしい日本人形のような容姿をしている。なのに性格は、同い年の人間としてはあまりにも純真、無邪気すぎる。悪い人間じゃないけれど、他人の心情がまるで読めず、一緒にいて楽しいことも多いが、苦労すること、嫌なことも同じくらい、いや……そのほうが多い気もする。
 けれど、子供のような純真な笑顔で微笑まれると誰も何も言えなくなる。
「面白いもの見せてあげる」
 満面の笑顔。とりあえず用事を思いつかなかった私はこくりと頷く。
「何なの?」
「それは、夜までのヒ・ミ・ツ☆」
 くすくすと楽しそうに微笑む彼女に、誰が問い詰めることができるだろう。

 約束は夜の七時。私はシヅの家へ赴いた。そこにはシヅに捕まったらしきユカリとミホ、リエ、キョウコといういつもの顔ぶれ。
 挨拶代わりに、乾いた笑みを互いに浮かべる私たち。
「暇やね、私ら」
 ユカリ声に、再び浮かぶ自嘲の笑み。
「ええかげん彼氏の一人もできんの?」
 ミホの声。お互い様だとばかり互いの顔を見る。
「来年こそ『シヅの集い』には不参加するで〜」
 時々開かれるこういう集まりを私たちは『シヅの集い』と呼んでいる。メンバーが増えることはあっても減ることはない、ある意味怖い集会だ。
「あはは、そりゃ無理やって」
 リエの言葉にキョウコが突っ込む。さすがは姉妹。ボケとツッコミの息がぴったり。
「何が無理なの?」
 ちょこんと沸いたように登場したのは当のシヅ。小首を不思議そうに傾けている姿がまた愛らしい。
「何でもないよ」
 私が答え、
「それより、見せてくれるって言ってた『面白いもの』って何なの?」
 シヅはふふふ……と怪しく微笑み、
「ジャン!」
 掛け声とともに『冬の星空を見よう会』なんてご町内の、家族向けの行事予定が書かれたチラシを取り出す。
「……参加するってこと?」
 嫌な予感はたいてい当たる。
「そうよ! 素敵でしょ!!」
「……えぇっと……」
 みんな言葉を詰まらせ、互いに顔を見合わせている。顔には大きく『困った』の文字が。けれどシヅはそれに気づく様子もない。

 私はシヅの家に来るためにちょっと厚着をして来てはいるが、夜の星空を見上げられるほどの厚着はしていない。こんな格好で外でぼぉーっとしていたら絶対に風邪を引く。
「いや、あの……ね?」
 何とか気づかせようと皆、薄着であることを暗に主張するが、シヅは不思議そうな顔をして微笑み、
「……ミルクティー持って行って、向こうで飲もうか?」
 なんて、シヅで無ければ殴りつけたくなるような勘違いをかましてくれた。
「いや……そう……ね」
 誰ともなく漏れる諦めに似た声。
「――行きましょう」
 私はため息を一つ付きつつ、青い顔に無理やり笑みを浮かべた。

 開催場所はシヅの家から一キロばかり離れた丘の上。私たちは近所だからとそこまで歩いて来た。歩いている間は温もっていた体も、徐々に熱が逃げ、今は寒くて震えている。きっと唇は青いだろう。
 シヅは準備万端に赤い頭巾つきのコートをすっぽりかぶり、白いざっくりしたマフラーをぐるぐる巻いて、同じデザインのミトンの手袋をはめ、赤頭巾ちゃんのごとき様子をしている。その姿がまた可愛い。
「あ、これ皆の分ね」
 なんて家を出る直前に、カイロを一個づつ分けてくれたのはシヅの優しさだろうが……今となってはぜんぜん足りない。
 開催時刻より少しばかり早いというのに気の早い親子連れが数組良い場所を陣取り、シートに望遠鏡、はたまたテントまで張ってそれはそれは準備万端に整えていた。
「シートくらい持ってくれば良かったねぇ」
「あと、毛布……寒い」
 リエとキョウコの声に、私たちはため息を漏らす。横目で見やる楽しげで暖かな家族連れが本当に羨ましい。

 寒い寒いと呟きながら永遠とも思えた十分を過ごし、開催時刻を迎えた。
 どこだかのアマチュア天文家だとか言う人が三人ほど現れ(しかもサンタクロースの格好をして)、
「向こうの空に見えるのがオリオン座で……」
 といった具合に明らかに手作りと思われる紙芝居で、星座にまつわる伝説を交えつつ星の話をしていた。けれど、寒さで震える私たちの耳には届かない。
 白い息、凍りつくような寒さ、そして泣きたくなるくらい美しい星空。
 私たちは震えながら、ただただシヅの気が済むのを待っていた。

「寒くなってきたね。そろそろ帰ろうか」
 シヅが声を上げたのはそれから一時間くらいして。それはまさに天の声。小躍りしたいくらい嬉しかったが、冷え切った筋肉は動きもせず、こくりと頷く事しかできなかった。

 シヅの家の前でみんなと別れ、朦朧とした意識のまま私は家にたどり着いたらしい。寒さで脳が死んでいたのか、帰ろうといったシヅの声以来、あの日のことは何も覚えていない。
 家に帰ってバタンキューとベットへ倒れこんだ私は翌朝、起きることもできず数日熱にうなされ、その後しばらく伏せっていた。

***

 何とか体調も良くなってきたので街へ繰り出した途端、シヅの姿を見かけたもので、逃げるようにしてここへやってきたのだ。
「失敗した」
 私は何度目かのため息を漏らす。
 シヅは恐ろしいほどに目ざとい。さっき見かけたときはシヅの後姿だったからきっと気づかれていない……ことを祈りたい。

 ぼーっとしていても時間は過ぎる。私はよろよろと立ち上がる。今日は久々の小春日和。掃除をするにしろ、陰干しするにしろ丁度良い。

「寒いぃ……」
 なんて、真冬用のコートを着込み、向かった先は業務用冷蔵庫。
 なんで一般家庭にこんなたいそう代物があるんだろうと幼い頃は不思議でならなかったが、爺ちゃんの手伝いを初めた数年前、その理由を知った。
 全体重をかけて扉を開ける。一年近く閉じっぱなしなものだから、まったくもって重い。
 中には去年、入れた時と同じ格好をした大きな卵が一つ。
 世界で一番大きな卵はダチョウだなんていわれているけれど、これはそれの二倍近くはゆうにある。割れないように、慎重にそれを冷蔵庫から取り出し、台車に転げのせる。
「ふぅ〜っ」
 大きく息をつく。
 本当に重い。しかも表面がつるつるだから持ちにくいし。
 冬の弱い光に、卵の表面は紺碧にも銀色にも波打つような光を示す。真冬だってこと、卵の中にいてもわかるらしい。
『――続いて、天気予報です――』
 ラジオから響く男性の声に、私は手を休め、じっと聞き入る。
『……地区、夜半には気温が下がり、氷点下になることもあります。夜中から明日の昼にかけて雪が――』
「雪か」
 呟いて思わず笑う。
 白い白い雪の世界。
 真っ黒な世界にしんしんと、絶え間なく降りそそぐ雪。
「雪……だよね」
 もう一度呟いて、作業再開。
 卵を家の中で一番寒くて日の当たらない場所へ。

 裏庭の一角。苔くらいしか生えることのない、薄暗くて夏でも寒いと感じる場所。
 昔はここに幽霊が出るような気がして怖くて仕方がなかった。そんな場所に、台車の上の卵をコロンと転がし落とす。これで夜まで放っておけばいいわけで、とりあえずは一つ目の作業終了。

「次は……車か」
 裏庭に面するように作り付けられた車庫。道路に面していないので、中には車を入れ様もない。それに車を入れるにしては、高さも幅も、妙に大きい。
 うんしょ、と特注のシャッターを開けて中へと入る。
 一年近く閉じっぱなしのそこはほこりっぽい。
 けほけほと軽くむせ返り、やはり掃除しなきゃだめだなぁとげんなりする。
 中にあるのは真っ黒な蒸気機関車の客車が一両。昔は古い映画なんかに出てくる、しゃれた箱馬車を使ってたらしいんだけれど、爺ちゃんが三十年くらい前に見た宇宙を走る蒸気機関車アニメに感動し、これに変えたらしい。
 それを聞いてげんなりする一方、爺ちゃん、アニメなんて見るんだ……なんて妙なことに感心したりもした。
「ほこりを払うのと……中にストーブがいるなぁ、絶対。あとは――」
「何これ!」
 人が驚いたとき、頭の中が真っ白になるなんていうけれど、それは本当らしいと実感。
「ねぇ!」
「……え? あぁっと、どうしてここにいるの? シヅ」
 入り口には真っ赤なマフラーに、白いコート。と、この間の夜と同じような格好をしたシヅが興味津々といった顔で立っていた。
「なんで?」
 再び口をつく疑問。こういう場合は誰もが口にする言葉だろうけれど。
「それ、何?」
 シヅの方は答えようともせず、同じ質問を繰り返してくれる。
「列車」
 短く返す。見ての通り、どこからどう見ても何の仕掛けもへったくれもない、ただの客車車輛。
「じゃなくて、なんでこんなところにあるの?」
「爺ちゃんの趣味……なの」
「あ、そう」
 なんて、素直に返事をしてくれてるが、どう見たって納得した顔をしていない。先週寝込んでいたせいでただでさえ時間が無い時に、シヅの相手をしていられない。
「シヅ、用がないんなら忙しいから帰って」
 単刀直入に切り出す。非常に邪魔扱いしてる上に言葉がきついことはわかっているが……背に腹は変えられない。
「汚れてるね、これ、掃除するんでしょ?」
「え?」
 私の格好といえば、汚れてもいいような適当な格好にカッパ、長靴、ゴム手袋とどう見ても、今から掃除しますよファッション。
「手伝ってあげる」
「いや、いいから」
「何で?」
「悪いから」
「どうして?」
「……どうしても」
 シヅのおねだり攻撃に私は弱い。そんなこんなを繰り返すこと数分、ついに、
「じゃぁ手伝って」
 あぁ、ついに言ってしまった。馬鹿な私。
 言ってすぐから後悔と自責の念にさいなまれていることなど……シヅにはわからないだろう。鼻歌交じりに、
「水道どこ? モップは? 洗剤は?」
 なんて、浮かれた様子だし。

「五月蝿いで!」
 髪の毛をかきむしりながら姿をあらわしたのはメイさん。
 やはり今年も切羽詰ってきている様子。
 山ほどの嫌味を私に機関銃のようにまくし立てようとしたところでシヅの姿に気づく。
「……誰?」
「始めまして、シヅといいます。ところでどなたですか?」
 シヅのまっすぐな瞳に見据えられて唯我独尊なメイさんがちょっとたじろいでいる。シヅ最強か。
「わ、私はメイって言うもんなんやけど……誰?」
 と、今度は私に尋ねる。
「私の友達のシヅ」
「と、友達って……なんでこんなとこにおんねんな!?」
「あそこ越えてきたの」
 なんてシヅがご丁寧に指差す先は裏庭の垣根。登ったのか、その格好で。しかも、それって無断進入とか泥棒って一般的に言われる行為なんだけれど。
「非常識やん!」
「玄関にベルはついてないし、いくら呼びかけても誰も出てこないんだもん」
 可愛らしくふてくされて、大粒の涙がポロリと一滴。友人達でなければ見抜けない、迫真の嘘泣き。
 案の定メイさんはばつが悪そうに、
「いや、あんな、泣かんでもええやろ?」
「だって、お姉さんがいじめるから」
『お姉さん』とか言ってるあたりが確信犯、シヅの計算づくの芝居だ。シヅはいくら年上だろうと人の名前は呼び捨てにするタイプだから。
 困りきった表情でメイさんが私のほうを向く。
「あー、シヅ。大丈夫だから」
 なんとも言葉をかけずらい。
「メイさんも『あれ』急いでね」
「え、そ、そやね」
 慌てた様子でメイさんは家の中に引っ込む。

 途端、シヅの目がキラリと光る。
「ねぇ、一人暮らしって言ってなかったっけ?」
 シヅの何故なに攻撃。
「あー、掃除しながらでいいかなぁ。時間無いから」
 なんて言いつつも、シヅを無視した形で黙々と掃除。水をかけて、洗剤かけて、モップでゴシゴシ。そしてもう一度水をかけて洗剤を洗い流し、窓を磨いて、車内に掃除機をかけて終り。と内容は簡単だけれど、車よりも大きな客車。これがかなりの重労働。
「ねぇ」
 何度目かの「ねぇ」と共に、シヅにカッパの裾をつかまれる。
「あの、離してくれない?」
「一人暮らしって言ってなかったっけ?」
「……事情があるの」
「何?」
「人には話せない事情」
「親友でしょ?」
 そうだったっけ? と出かけた言葉を飲みこむ。
「せ、先月までは一人暮らししてたわよ」
「どうして今は一緒に住んでるの?」
「……親戚の――」
「いないっていったじゃない。天涯孤独だって」
 私の馬鹿。なんでその時にいないって言ったんだ。シヅにのせられて身の上話なんてするんじゃなかった。
「と、遠縁の遠縁がいたの」
 確実に声は裏返ってる。嘘がつけない性格ってのはこう言うときに分が悪い。
「それって他人って言うんじゃないの?」
 鋭い突っ込み。
 どう答えようかと考え込んでいると、
「お嬢――あ」
 ジンさんとも鉢合わせ。最悪だ。
「はじめまして、シヅといいます。あなたはどなたですか?」
 シヅは気遅れる様子など微塵もなく挨拶する。誰がどう見ても可愛らしい娘さんって様子で。
「え、えぇっと……ジンといいます。あの、お嬢――」
 ジンさんに手招きされてそちらに向かう。
 とりあえずは助かった。

「予定よりちょっと多く出来そうなんですが……」
「あ、そうなの?」
「メイが結構頑張ってたみたいで」
 お嬢が寝込んでいたときに……と小さく口にしながら私の背後――シヅの様子をうかがっているジンさん。
「大丈夫ですか?」
「……何とかしなきゃなんないんだけど……メイさんがたじろぐような人間って、どう対処すればいいと思う?」
 シヅをちらりと見て、目に涙をためるジンさん。
 泣きたいのはこっちなのに。
「何とかするから――でも、最悪の場合には……覚悟しといてね」
 ジンさんのもとをはなれてシヅのところに戻る。
「帰れって言っても、帰らないわよね?」
「うん」
 当たり前だといわんばかりの表情。質問も山いっぱいってその目は嫌いだ。
「じゃあ……しっかり働いてもらうことになると思うから、よろしくね」
「さっきの――」
「質問も全部、夜に回してくれる? 私はこれから寝なきゃならないんだから」
「まだ、お昼過ぎだけど?」
「これから夜まではお昼寝タイム。徹夜になるから寝ておかないと後がつらいの」

 言い置いて、家の中に入る。シヅが後ろからついてきたので、客間に案内しておいて、私は無理やり眠りについた。

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