死神少女

死神は遅れてやって来る

 眠い。
 とにかく眠い。
 自分の体が、濁った重い泥水で出来ているとしか思えない。躓いたらきっと、跡形もなく崩れてしまうだろう。
 よろめきながらも、歩を進める。長い長い階段をあがり、重い重い部屋のドアを開け、ベッドに身を投げ出す。
 服の皺なんて気にならない。気にする余裕なんてない。重力に引きずられ、沈んでゆく感覚。深く、深く、下の方へ。底の方へ――。

 大きく息をついて、私はゆっくり目を開けた。いやに体が軽い。すっきりしてる。良く寝たと、大きく伸びをする。気持ち良い。
「ん?」
 いつもなら、手が壁や棚に当たるのに、それがない。本格的に目を覚まし、見渡す。なじみの天井が目の前にあった。あまりに近くて驚く。右や左には見覚えのあるカーテンや棚。ただ、ずいぶん位置が低いから戸惑った。
 不思議に思いながら、体を反転させる。下の方に、私の体が見えた。死んだみたいに眠り込んでる。
 まるで本当に死んでるみたいに……私は慌てて眠っている自分の体に触れる。手が通り抜ける。立体映像で出来ているかのように、体に触れることが出来ない。手も体も頭も、すかすかと。私の体なのに、私は触れることが出来ず素通りするばかり。
「これって、これって……私、死んでるってこと? 死んだの私?」
 実感が沸かなかった。でも、よくよく私の顔を見たら、青白い。息もしていない。
「死んでる。あたし、死んだんだ」
 呟いてみておかしくなった。
 時を刻む秒針の音がして、時計を見上げる。見上げたはずなのに、時計を真正面から覗き込んでる自分がいる。そう言えばさっきから、宙を飛んでいる。私、幽霊なのだ。
 それに気づくと楽しくなって、散歩してみようかなと思う。時刻は午前一時半を回ったところ。帰宅してすぐ、ベッドに倒れこんでから、たいして時間は経ってない。ポックリいったってことなのだろうか。
 天井に手を伸ばす。すり抜けるのを確認し、頭からつっこむ。意識を向けるとそちらの方向に移動できる。こりゃ便利だと、そのまま上へ。でも少し怖いので、こそこそ歩くくらいのスピードで。
 天井板を抜け、天井裏を抜け、屋根の上に出る。そこから一番高い屋根の上へ移動。落ちて怪我することも死ぬ事もないとわかっていれば、怖くない。幼いころから一度、上ってみたいと思っていた。
 夜の闇の中とはいえ、見晴らしが良い。二十四時間営業の店の明かりとか、信号機の灯りとか、月明かりとか。暗いが、暗すぎない。これなら生きてるときに、ビール片手に登っていたら良かったなと思う。周囲に家が密集してなきゃもっと眺めが良いのかも知れないけど。
 座ったらすり抜けてしまいそうなので、立ったまま周囲を見渡して、そのまま並行に移動する。屋根が終われば落ちるかなと思ったけれど、そんなことなくて、そのままするすると移動できるものだから、私は走るようなスピードでぐんぐん家から遠ざかる。風はわずかに感じるだけ。屋根やアンテナにぶつかっても、痛みもなければ、触れもしない。
 ずいぶん長距離移動して、立ち止まる。足元には駅。電車に乗ってるときから、私は眠くて仕方なかった。座ったら終点まで眠り込んでしまいそうだったので、我慢してずっと立ってた。電車を降りてから、自転車をこいだ。酔っ払いのように左右にぶれながら、ゆるい坂道を登った。学生時代から通いなれた道だ。私の家があるのは、良くある郊外の分譲住宅地の一角。駅からは見えない。
 次はどこに行こうか。
 考えてみても、死んでみて改めて行きたい場所なんてない。会いたい人は何人かいたが、時間も時間だし、幽霊が訪ねていったところで話もできない。思っていたより、私、寂しい人生だったのかもしれない。私って、思っていたより可哀想な人間なのかも。
 駅で幽霊が感傷にふけっていてもしかたない。どうせなら、生きてる時に行きたくても行けなかった場所に行ってみようと思った。

 レンガ造りの建物は夜の闇の中でも、やっぱりおしゃれだった。薄汚れたコンクリートだと怖い感じがするだろうけど、レンガだとそんな感じがない。
 入学パンフレッドで何度も見た建物。壁を抜け、ドアを通り抜けて、憧れだった大学を見て回る。私がもっと頭がよければ、うちの経済状況がもうちょっと良ければ、今頃通っていたかもしれない学校。
 ふらりふらりと校内を散策する。不意に懐中電灯に照らされ驚いたが、灯りは何事もなかったかのように離れた。警備員さんがのんびりした足取りで見回りをしてた。
 さすがにこの時間、誰もいない。屋上に出る。生きてるときは高いところが嫌いだったけれど、死んでしまった今は楽しい。見晴らしよくて気分が良い。
 七階建ての建物なだけあって、見晴らしが凄く良い。うちの屋根の比じゃない。凄く遠くまで見渡せる。せせこましい町だと思っていたけれど、素敵に見える。
「誰だ?」
 声がして私は振り向いた。そこにいたのは、憧れていた同級生。高校の頃に比べて、一段と格好良くなってる。私がこの大学に入りたかった、理由の一つ。
「ごめんなさい、私――」
 言いかけて、自分が幽霊だったことを思い出す。彼に私の姿など見えるわけがない。彼が誰に声をかけたのだろうと、周囲を見やる。誰もいない。
「君、見たことある。同じ高校だったよね」
 彼の視線の先にいたのは私。幽霊なはずの私。
「君、どうやってここに上がってきたんだ? 屋上の出入り口には鍵がかかってるのに」
「あの。あなた、私が見えるの?」
 私はすべるように彼のそばへ近寄る。彼はどう見ても生きていた。私と違い、風に髪が揺れている。影がある。
「変な質問だな」
「あの。あなた、霊感体質なの? 幽霊とか見えちゃう人?」
「何を言ってるんだ?」
「だって私、死んでるのよ」
 彼は呆れた顔をして、私の顔をまじまじと見つめた。そういう意図じゃないとわかっていても照れくさい。
「君は幽霊ってことか?」
「そうよ。私の足を見てよ。足元見えないでしょ? 浮かんでるでしょ? 影もないでしょ? 私、死んでるの。今、幽霊なの」
 何で私、必死になって自分が幽霊だってこと主張してるのかしら。変な感じ。
 彼は私を見つめ、足を見つめ、影を見つめして、低い笑い声をあげた。
「何がおかしいの?」
「だって……君みたいに生き生きした幽霊って始めて見た。いや、幽霊自体見たの初めてだけど」
 言われて私もおかしくなる。考えてみれば私、幽霊らしくない。着てるのは花柄のワンピースだし、ここは墓場じゃなくて大学の屋上だ。柳の下でヒュードロドロ〜って感じにしなきゃ雰囲気出るわけない。
「ねえ、ここで何してるの?」
 丑三つ時の大学の屋上で。たった一人でやることなんて何もないはず。
 尋ねた私に、彼は暗い顔をした。思い切った様子で言う。
「自殺、しようかと思って」
「何で?」
「なんとなく。君は俺を迎えに来たんだろ?」
「はい?」
 驚いた。私は幽霊であって死神じゃない。そもそも、私のお迎えがまだきてない。
「幽霊になるの、楽しそうだね」
 彼は言う。力ないほほ笑みを浮かべる。見たくなかったな、その笑顔は。ちっとも素敵じゃない。
「生きてるほうが楽しいと思うけど?」
 やりたいこと、やりたかったこと、やりのこしてしまったことを思い浮かべる。彼に語っているうち、自分が死んだんだって実感がわいてきて、哀しくなった。私、もっと生きていたかった。やりたい事、たくさんあった。どうして、死んじゃったんだろう。
 彼は困った顔をしながらも、私の話を聞いてくれた。私のやりたかった事って、思いついた時に実行できたような、くだらない事が多かったけど、でも、私は生きてるときにそれをしなかった。今になって後悔。やりたい事は、やれる時にやらなきゃダメだ。
 彼は聞きながら慰めの言葉をかけてくれた。さっきまでの暗い感じはない。彼はやがて自分の悩みを打ち明け、私は彼の話に相槌打ちつつ、空は明るくなった。私の体は透き通っていく。消えてしまう。
「私の葬式、絶対来てね」
 慌てて言った声、彼に届いただろうか。変なこと言っちゃったなって思うけど、他に思いつかなかった。死んじゃった私にできる約束なんて限られてる。
 私はまだここにいるけれど、彼は私の姿が完全に見えなくなったようで探してる。私、死んでなきゃ良かったのに。
 彼の姿にさよならを言って、家に帰る。この後、どこに行ったらいいのか、わからないから。
「探したよ〜」
 部屋には私の死体と、黒いゴスロリ衣装の少女がいた。
「どこ行ってたの? 私が遅れちゃったの悪かったけど、ふらふら散歩しないでよお」
「誰?」
 私の問いに、彼女はポシェットから黒い名刺を取り出し、
「私、死神です」
「どうもご丁寧に」
 受け取ろうとしたけれど、名刺を掴むことができない。彼女はそれをポシェットに戻す。何のために持っているんだろ。もらったところでどうしようもないけどさ。
「私のお迎え?」
「そうよ」
 壁に立てかけていた、でっかい鎌を彼女は掴む。デコレーションが凄すぎて、鎌に見えない。
「死神ってもっと、怖いイメージだったのに」
「服装の自由化を勝ち取ったのよ」
 彼女は嬉しげに言う。高校の生徒会か。
 彼女に導かれ、私は天へ上っていく。今頃、起きない私に腹を立てて、母が部屋に乗り込んできてるはず。そして、私の死体を見つけるだろう。
 ああ。やりたいこと、いっぱいあったな。
 遣り残したこと、たくさんあったな。
「私、まだ死にたくなかったな」
「みんなそう言うわ」
 死神少女は笑う。
「そうだ。私が遅れたお詫びに、一日だけ猶予をあげる」
 彼女の瞳が、鋭く輝いた。私は恐ろしくなり、目を閉じた。

 私は目が覚めた。
 夢は砂のように滑り落ち、私の記憶から薄れていく。変な夢だったなと思ったけれど、思い出せない。空を飛んでいた気がする。案外、楽しい夢だったのかもしれない。
「起きなさい!」
 階下から鬼のような母の声がする。起きなきゃいけないことはわかってるけど、眠たい。泥のような睡魔に襲われる。
「起こせって言ったのあんたよ! 遅れても知らないからね!!」
「わかってる〜」
 体が重い。無理して起き上がる。また、長い長い憂鬱な一日が始まる。なのに、なぜだか私は嬉しかった。

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『死神は遅れてやって来る』をご覧いただきありがとうございました。〔2011/07/20〕

ずいぶん前に8割方書きあげ、放置してた文章。元は女子高生幽霊と、見知らぬ女子高生との会話だったのを変更。ラストがなかったので死神少女を追加。

2012/01/18 訂正

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