ラムダ

リア

■プロローグ

「お嬢ちゃん、人にぶつかっといてワビもないのか?」
 いかにも悪そうな風体の男達が、若い女を取り巻く。
 鮮やかな金髪を三つ編みにし、緑色の武道着を着た若い女。古くから武道が盛んな国だから、その格好は何ら不自然ではないのだが、その態度は変わっていた。
「あら、ぶつかってきたのはあなたの方よ」
 尊大に言い放つ。
「なにィ……」
 男達はいきり立つ。すでに戦闘態勢。
「怪我をしたくないのであれば、素直に謝りなさい。謝り方が悪ければ、どちらにしろお相手する事になるでしょうけれど」
 ニヤリ、と笑みを作る。それは余裕か、それとも無知からくる無謀さか。
 どちらにしろ男達は三人。女は武道を多少かじっているようだが、実戦の経験はないだろう。男達は後者だと判断し、拳を振り上げ――
「待て!」
 横槍。
 男達は出鼻を挫かれ、じろりと声の主に目を向ける。それは女性も同じ様子。
 声をあげたのは黒に近い褐色の髪、この国では珍しい緑色の瞳をした小柄な若者。こちらも武道着姿。
「女一人に対して、男三人とは卑怯な。僕がお前達の相手をしてやろう」
 言うが早いか、流れるような動きで男達の間を舞を舞うように通り抜けた。
 崩れるように倒れこむ男達。レベルが違いすぎる事を悟ったのか、男達はそそくさとその場から立ち去る。
「この辺りは危ないから、気をつけたほうがいいよ」
 時計に目をやり、小さく呟くと慌てた様子で立ち去った。
「……強い……」
 後に残された女は心底嬉しそうに呟いた。


■ある年の六月の初め

 ある年の六月の初め。
 ここ数日続いていた雨に洗われ、空は美しい青色。エメラルドグリーン色の湖水では光が遊び、風にきらめき踊っている。その湖水を囲むようにオレンジやグリーン。レッドにイエロー。さまざまな色の屋根が所狭しと、階段状に連なっている。湖面に一番近い家はどれも豪奢な造りで、湖面に面した廊下や、庭園は湖面へとこぼれ落ちてしまいそう。
 そんな湖の真中からすこし西にずれた場所に針山に似た城が一つ。まるで絵のような風情を持つのが、その昔、好戦的な気質で大陸中から恐れられていたカリエ=ボルト王国、現国王ライン・フェルト二世の居城テトゥラージュ。
 この城も例に漏れず、猫の額ほどしかない庭園にはこの時期盛りの様々な花々が咲き乱れている。
 そこに似つかわしくない二人がいた。
 美しい金髪を無造作に束ね、緑色の拳法着、手に鞭を持った青い瞳の小柄な女と、黒に近い褐色の髪を短く刈り込み、ラフな格好をした緑色の目の大柄な女。
「覚悟なさい!」
 小柄な女は、言葉とともに鞭を振るう。

――ビュン

 大柄な女は俊敏な動きでそれをかわす。
「ひ、姫様、何のご冗談です?」
 今までもこのような奇襲を受けたことのある、リア姫の従者マリネは青ざめながらも、尋ね返す。
「冗談ではありませんわ」

――ビュン

 リアの言葉とともに鞭が飛んでくる。マリネは今度もギリギリのところでかわす。
 彼女はリアの従者としてよりも憂さ晴らしの相手としてリアに仕えているといっても過言ではない。リアは見た目の愛らしさからは想像も出来ないほど激しい性質をしており、また、生まれつき天才的な武道のセンスもあったため、誰もが手を焼いていた。
「やはり、代々宮廷武道家を数多く排出してきたモンタナ家の長女。そう簡単にはいきませんわね」
 リアは不敵に微笑む。
 隙を見せれば鞭がうなりをあげる。マリネはリアを見つめたまま、内心ため息をつく。
 本来、リアの従者として仕えるのはマリネではなかった。リアと二歳しか歳の違わないリリス・ブライル――マリネの叔母にあたる人物が従者になるはず。だが、彼女は今、いずことも知れぬ武道修行の旅の空……である。
「姫様、落ち着いてください」
「あら、私はいつでも落ち着いていますわ」

――ビュン

 マリネはだんだんと追い詰められる。

――ビュビュン

「あの、姫様冗談では済まされませんよ――」

――ビュン

 マリネの背中に茂みの枝が触れる。従者の身としては反撃など出来ない。
「お願いですから――」

――ビシッ

 これ以上逃げ場は無い。マリネは追い込まれた。
「フフフ――もう逃げ場はないようですわね」
 マリネは汗だくだ。覚悟を決め、ぎゅっと目を閉じる。
「覚悟!」



 同じ時、庭園の噴水の前。
 黒に近い褐色の髪をした、緑色の目の若者が噴水の淵に浅く腰を掛け、空を見上げていた。
「まったく、堅苦しいな……」
 若者は毒つきながら、自分の襟元を手でさする。詰襟に着慣れない者によく見られる行動である。
「もうちょっと地味な格好でも良かったよな……」
 言葉とは裏腹に真っ白な正装姿の彼からは、晴れ晴れとした様子しかみえない。実際、誰よりも この日を楽しみにしてきたのだから。
 モンタナ家は古くから、多くの武道家を輩出している。毎年この時期に開かれる建国祭では、モンタナ一族の一人が演舞を披露する事になっている。成人を迎え、城にあがることが許される年齢になった今年、初めて彼はその役に選ばれたのだ。

 両手を広げ、力いっぱい伸びをして、よく晴れた空をみわたす。気持ちの良い日だ。

――ねがいですから

 若者はかすかな声に気づき、耳を済ませる。
 小さいが――風を切る音――鞭のような――彼は茂みに身を寄せる。息を押し殺し、鞭の音に魅入られたように茂みをかき分け、そっと近づく。

――ビュン

 近い――ここの裏か。
 茂みのすぐ向こうから鞭の音が聞こえてくる。葉陰から金髪の、緑色の拳法着を着た女が手に鞭をもち、身構えている。王侯貴族の命を狙う刺客だろうか。
 こちらに背を向け、茂みに背を押し付けているのは従者だろう。
 女が怪しい笑みを浮かべながら、鞭をかまえなおし振りかぶる。
「覚悟!」
 今だ!
 鞭を振りかぶった女に飛び掛る。手刀で鞭を持つ腕を打ち、同時に足をすくいあげ、腕をねじ上げながら押さえ込む。全てが舞いを舞っているような一部の隙もない、流れるような動き。
「大丈夫でしたか?」
 彼は侍女に顔を向け、その場で凍りついた。
「――メルク?」
 怒りに震えながら従者は奇妙にやさしい声を突然目の前に現れた弟の頭に投げかけた。
 メルクの背中には冷や汗がだらだらと流れ始める。
「あんた、何やったか、わかってる?」
 同じ声色でマリネは尋ねる。こんな声を出すの時のマリネは一番危ない。
 メルクは何も答えない。答えることができない。
「彼女はねぇ、リア王女なのよ!!」
 マリネのヒステリックな声が空気をぴりぴりと震わせる。メルクは呪縛から解かれたように、やっと、
「り、りあ、おう、じょ?」
 押さえ込んだ女の背を見つめる。気を失っているのか、ピクリとも動かない。
「そうよ!! ああ、お終いだわ。一家投獄なんてことになるかも――いえ、それはまだ良い方で、もしかして、一族公開処刑なんてことも――」
 メルクの襟首を掴み激しく揺さぶる。
「そんな、そこまでは……」
 首を庇いつつ、姉をなだめようと声を掛ける。
「わからないわよ! リア王女のことだもの、『目には目を歯には歯を』なんて生易しいものじゃ済まないわ!!」
「お、落ち着けよ」
 マリネは落ち着くどころか益々、いきり立つ。
「落ち着けですって? あんたわかってんの、この事態を?!」
「わかってるよ。でも慌てたって仕方ないだろ、それに、俺の姿は見られてないだろうし――」
「それを早く言いなさいよ! さっさとどこかに行きなさい、絶対に他言無用よ!!」
 現れた垣根に押し返そうとしていると、静かな声が響く。
「――ふーん、私に暴力をふるっておいて、どこへ行こうというのかしら?」
 二人はゆっくりと声の主に向かって振り向く。そこには『天使の微笑』と称される笑みを満面にたたえたリアが立っている。
「あ、あの、姫様――?」
 マリネが蚊の鳴くような、震えた声をだす。そんな事などかまいもせずリアはメルクに視線を注ぎ、話し掛ける。
「あなた、マリネの弟のメルクね」
「は、はい」
 青い顔でメルクはうなずく。マリネがわき腹に思い切りひじ撃ちを打ち込み、
「何でそこで『はい』って言うのよ!!」
 メルクはわき腹を押さえつつも硬直したまま。
 リアがじっとメルクの瞳を見つめていたるため固まったかのように動けないのだ。それは恋愛などでみられる、甘く切ない見つめあいではなく『蛇ににらまれた蛙』の心境が痛いほど理解できる見つめあいだった。
「メルク、」
 リアはメルクの目を見つめたまま、愛らしい唇を動かす。
「は、い……」
 意識が遠く去りゆこうとするのを抑え、声を絞り出す。
「この責任、どうとってもらいましょうか?」
「わ、私の……責任です、から」
 ちらりとメルクは傍の姉に目をやる。マリネの目はリアよりも険しい。きっと、どちらにしろ殺されかねない。
「私に……できることならば何でもいたします、いえ、やらせて下さい! ですから、家族――一族への処分はどうかご勘弁を願えれば……」
「ふーん、なんでもするのね?」
「は、はい」
 できる事ならば……と、メルクは心の中で繰り返す。
 だが、どうやら殺されずにはすむらしい。
 リアの目に、一瞬怪しい光が宿った。楽しんでいる……直感的にマリネは何か嫌な予感に身を震わせる。
「では――」
 メルクと、マリネはごくりと唾を飲み込む。
「私の夫になってもらいます」
 二人は何を言われたか理解できず、唖然とした顔でリアを見ている。
「メルク、」
 天使の笑みで、優しい声色でリアは念を押した。
「いいですわね?」
 日頃からリアの奇行を目撃していたマリネは、当事者であるメルクよりも回復が早かった。我に返ったマリネは、
「そ、そんな名誉なことはございませんわ。もちろんお受けいたしますわ、姫様。おほほほほ――」
 愛想笑い。
 そう、メルクが気づいたときにはすべては終わっていたのである。
「じゃあ、私は婚礼の準備をしなくてはなりませんから」
 リアは今まで誰も見た事の無い笑顔を振り撒きながら去っていった。
「姉貴、何を――」
「あんたに、他に平和的な解決方法が思いつけるの? あんたのした過ちが、あんた一人の犠牲で 平和的に解決される、こんな良いことはないわ!」
「姉貴が勝手に――」
「あんたが招いた過ちなんだから、あんたが責任をとるのは当然でしょ!」
「……悪いが、旅に出ると親父達に伝えといてくれ」
「――逃げるの?」
「ああ」
「リア姫様から逃げ切れると思っているの? 地獄の果てだって口笛吹きながら追いかけて行くわよ、あの人は」
「じ、自信はないことはない、じゃあ……」
 メルクはよろよろと茂みの向こうへと消えていった。

 それから半年後。とある町の食堂。
 凍てつくような風が吹き抜け、窓枠をしきりに揺らす。
 この村唯一の食堂には細身の武道家と長い黒髪の女性以外誰もいない。二人は窓際に席を取り、昼食を取っていた。何もお互い話さない。
 店内には、薪のはぜる音だけがあった。
 外を強い風が駆け抜ける。女性は立ち上がり、怯えたように窓から外を見る。武道家はそんな彼女のほうにちらりと視線を送り、小さくため息をつく。だが何も言わない。
 女性は、空耳かと安心したように、座りなおす。互いに何も話をしない。変な客だった。
 今日は風が強い。しきりに女の声に似た音を上げながら町を駆け抜けていく。
 はじかれたように、今度は武道家も立ち上がり窓から外を見つめ、何かを探している。その『何か』が見つかったのか武道家はすっと立ち上がり、険しい面持ちで表へ出ていった。

 冬空の下、町はゴーストタウンと化している。あたりには、乾燥した冷たい空気に満ちている。
 武道家の視線の先には、金髪の小柄な女性と、黒い褐色の髪の女性。
「あれか――」
 武道家は一言呟き、食堂を守ろうとするかのように仁王立ちでその二人を見つめた。



 同じ時。同じ町にて。
「あの、姫様。あそこにいらっしゃるのはブライル様ではないでしょうか」
 マリネは武道の武者修行をしている叔母の名をあげ、食堂の前に仁王立ちしている人物を指差す。
「どこ?」
「あの食堂の軒下です」
 褐色の髪をした人物が居る。一見、男性に見えるが……。
「――確かにリリスだわ」
 リアは頷く。そして、大きな声で言葉を掛けつつ、駈け寄る。
「久しぶりね、リリス!」
 ピクリと眉間を引きつらせつつも、リリス・ブライル・モンタナは丁寧に応対した。
「姫様も相変わらずなご様子で何よりです。それより、私のことはブライルとお呼びくださいと何度も申し上げたはずですが――」
 リアはその言葉を気にとめることなく、
「リリスがここに居るってことは、メルもここにいるんですのね?」
 どうやったらそういう論理に至ることが出来るのだろう……マリネとブライルはそっと顔を見合わせ、ブライルは呆れ顔で頷いた。
「――はい」
 その答えにリアの目に光が宿る。ブライルが止めるのも聞かず、食堂の扉に手をかける。
 店内には、誰も居ない。
「らっしゃい」
 店の親父が顔を出して応対する。
「――メルは?」
「メル? ……ああ、もしかしてあの姉ちゃんのことか? あの姉ちゃんなら裏口から出てったぜ」
 リアは顔を下に落とした、その表情はわからない。
「どちらのほうへ行ったかわかります?」
 地獄の底から響いてくるような声でたずねる。誰もその異様な雰囲気に飲まれて答えられない。リアは繰り返す。
「どちらのほうへ行ったかわかります?」
「む、向こうの、方へ――」
 親父が引きつった顔で答える。リアはさっと顔を上げ、扉を突き壊して出ていった。その顔は笑っていた。獲物を見つけた猟犬のような目とともに。
 嵐の去った店内で立ち尽くす店の親父とブライルとマリネ。
「ここで待とうか」
 ブライルの言葉に、マリネは首を縦にふった。
「親父、レモンティー二つだ!」
 言い置いて、窓際の席につく。
「姫はあいかわらずだな」
 マリネはブライルの前の席に腰をかけながら、
「ええ」
とだけ答える。
「どうして、メルクを追いかけているんだ?」
「――夫にするためですよ」
「夫? メルクをか?」
 リアとメルク、二人を幼い頃から知っているマリネは不思議そうな顔をする。
 リアはあれでも一応、姫、ということで城から出るなどということはまず無い。そして、メルクの方も成人しなければまず城にあがることはできないはずだし、幼い頃から厳しい修行をさせられているから城へ近づく暇などないはずだ。
「どうしてこんなことになってるんだ?」
「こういうことがありまして――」
 マリネは事の成り立ちをブライルに話した。多少事実はゆがめられたが、大筋は通っている。
「なるほど。それで女装してでも逃げたいわけか」
「じょ、女装してるんですか?」
「さっきの親父も姉ちゃんて言ってただろう」
「いえ、あいつ、髪が長かったときよく女に見間違えられていたから、また髪を伸ばしているのかと――」
「完全に女装している、私の昔の服を着ている」
「あ、あのリボンとかいっぱいついてて、ふりふりのやつをですか?」
 その言葉にブライルは真赤になりながらも、
「ああ、私には必要ないからな」
「それは――そうでしょうけど、よくあんなもの着る気になったわね」
「――私は着せられていたんだぞ、あれを」
 ブライルは消し去ってしまいたい幼い日々を思い返す。歳を取り、念願叶って生まれた女の子に対して、両親は猫可愛がりをした。父は兄たち以上に武道を教え、母は着せ替え人形のように悪趣味とも受け取られかねないほど少女趣味の服を彼女に着せた。当時から、体格もよく、髪を伸ばしていても、少女趣味の服を着ていても、少年が女装しているだけにしか見えなかったブライルは――修行の旅と称して家出した。
「す、すいません」
 ブライルのようすにマリネは笑いをこらえつつ、謝る。ブライルはむっとしながらも、
「まあいい。私はメルクから、しつこい女に付きまとわれて困っているとしか聞いていなかったからな、あいつがあの服を着ると言い出したときには頭がおかしくなったのかと思ったが……相手がリア王女なら、気持ちがわからなくもない」
「あの人は、世界の果てだろうが地獄の底だろうが容赦無く追いかけて行きますからね」
 二人して溜息。
「メルクが姫の夫になったらおまえも大変だな」
「他人事のように言わないでください。ブライル様もモンタナ一族なんですよ」
「私は縁を切ったはずだが――」
「そんなことを許されると思います? おじい様、おばあ様が」
「――まだ、縁が切れてないのか?」
「はい、密かにブライル様の諸情報を手に入れられていますよ」
「気づかなかった。私は見張られていたのか?」
「見張る……というのは少し違いますが、まあそんな感じですかね」
「でも、ま、姫の従者はマリネがやることになったんだし、姫の子供たちもおまえに任せる。私は気ままに武者修行の旅を続ける」
「投げないでください。私がいなくなればブライル様がしなくてはならないんですよ」
「いなくなる?」
「あ、いえ――」
 マリネは慌てて口を閉じた。ブライルは追求しようとしたのだが、
「――戻って来られたようですね」
 裏口の壊れた扉から、リアとがっちりと腕を組まれた少女が入ってきた。
「あの、リア様、そちらの方は?」
 マリネが黒髪の可愛らしい少女を指し、尋ねる。
「メルクに決まっているでしょ」
「メ、メルク? その女がですか?」
「ああ、まるで別人に見えるだろ」
 ブライルが横からのんきな声を出す。
 どこからどう見たってメルクには見えない。目の前を横切ったって自分は気づかないだろう。
 マリネはがっくりとうな垂れるように座り込む。
 なのに、何故リア姫はわかったんだ?
「ご主人、私達にも同じものを」
 リアの言葉に、
「へ、へい」
 迷惑そうに親父は答えた。

 二人はブライルたちの近くの席につく。一時しのぎ的に修復された裏口からは冷たい隙間風が吹き込んでくる。狭い店内、暖かいストーブの近くといえば必然的にブライルたちのそばの席しかない。
「さて、メルク、どうして私から逃げようとしたんです?」
 メルクは何も答えない。
「まさか王の地位や名声がいらないなんて、そんな偽善的なことはおっしゃいませんわよね?」
 メルクは沈黙したまま。
「もしかして、私のことお嫌いですの?」
「ああ」
 メルクは低い声で答える。
「それならば仕方ありませんわね」
「あ、あきらめてくれるのか?!」
 メルクは嬉しげに、椅子から立ち上がって叫ぶ。だが、リアは続けて言葉をつむぐ。
「なんて言うほど世の中、甘くありませんわよ」
 にっこりと微笑む。天使の微笑み――ではなく、悪魔の微笑ともいえる笑顔で。
「一緒に生活していれば、いつかあなたも私のことを愛するようになりますわ。私はそれを待ちます」
「それは、それは絶対に」
「――ないとは言い切れませんわ。人の気持ちなんて移ろいやすいもの、地位や名誉、富に勝てて?」
 メルクは何も言わない。リアに話術で勝てるものなど多くは無い。
「さて、メルク。私から、あなたへプレゼントがありますの。受け取ってもらえますわよね?」
 メルクは疑りぶかそうに、目の前のきれいにラッピングされた包みを見つめる。
「まさか、たかがプレゼント一つ、警戒して受け取らないなんてそんな男気の無いことはおっしゃいませんわよね?」
「――わかった」
 観念したような言葉。
 一瞬リアの目に異様な輝きが宿った、誰も気づかなかったが。
「さあ、どうぞ、メルク」
 メルクは受け取り、嫌々包みをあける。中には古びているが、美しい銀に似た腕輪が一つ入っていた。
「あの、これ……ですか?」
 予想外の展開に、彼は尋ねかえす。婚約指輪が入っているのだろうと思っていたのだ。
「ええ、あなたによく似合うと思いまして……」
 その腕輪はよく見ると細かい彫り物があり、かなりの値打ち物のようだ。
「あの、良いんですか? こんな物をもらっても」
「プレゼントですもの、どうぞつけてご覧になって」
 メルクはいろんな角度から、何か仕掛けでもないかといった感じでしばらく眺めていたが、やがて腕輪をはめた。
「良くお似合いですわ。腕をお出しになって」
 リアに言われ、メルクは腕輪をはめた腕を差し出す。リアは微笑みながら腕を握ると、
「契約します!」
 高らかに叫んだ。よく見ると、リアも同じ腕輪をはめている。
 リアの声に答えるように腕輪から光があふれだした。光が収まると、腕輪は跡形もなく消え、腕に腕輪と同じ模様が浮き出ている。
「こ、これは何ですか?」
 メルクが恐る恐るたずねる。
「契約の腕輪と呼ばれるものですわ」
「け、契約の腕輪?!」
 ブライルが横から口を出す。
「そんなものどこで手に入れられたんですか?」
 リアはなんでもないという風に、
「闇市の露天商ですわよ」
「や、闇市!?」
 ブライルがマリネの方を見ると、マリネはこくんとうなずいた。
「姫、そんな危険なところへいらっしゃったのですか?!」
「ええ、そこ以外ではこの品をあつかっていないと聞いたものですから」
「そんな危険なものをわざわざ買わなくても――」
「危険? 危険て何が?!」
 ブライルの言葉にメルクが声をあげる。ブライルは疲れたように、
「命にかかわることじゃない。腕輪が刺青と化すだけた。まあ、得点として――」
 言葉をにごらせる。
「得点として?」
 恐る恐るながらもメルクは尋ねる。
「共に呪文を唱えた者は一生涯離れられない運命だ」
「それって、つまり――」
 メルクは言いよどむ。リアは微笑みながら言葉を続けた。
「二人は永遠に結ばれたということですわ」
 メルクは完全に石と化した。

■エピローグ

 あれから二十年。
 流行り病で急死した王の後を継ぎ、若い二人は数年前王位についた。リアが女王となるものと誰もが思っていたのだが、王座についたのはメルクだった。実質的にまつりごとを執り行っているのはリアであることは言うまでもないが。
 二人には一人の娘ができた。今年で十三歳。母親に良く似た活発な娘に育ち、従者のアンを困らせている。マリネはあの事件からしばらくして、外国へ嫁いでいってしまった。
 この国が滅びる原因に若き王女は関わることになるのだが……その物語については、また今度。

終わり

| 目次 |

『リア』をご覧いただきありがとうございました。

■02/9/7 ずいぶん前に書いた話なので、いまさら「あとがき」ってもなぁ……なんて思ったりもしてるんですが(笑) この話はある長編の番外編として書いたものです。あまりにも混沌としすぎて、まとめることができないので、うまく話にまとめられるあたりから今回のように小出しにしていくしかない状況です…最初の方はファンタジーにしようと思っていたので、ちょっとまじめな雰囲気?で書き出してるんですが…最後のほうはセリフばっか。もともと数年後の話を先に書いていたので、リア王妃(影の実力者)、並びにその旦那(婿入りして王になった人物)はどんな人なのか――とことを書きたかったのですが、メルクがどんな人物なのかよくわからないまま……。自分で改めて読み直して、ひたすらニタニタ笑ってしまう内容なんですが……面白いのでしょうか? 私の笑いのツボにはかなりヒットしてる作品ではあるんですが。

■改稿  2004/04/20

©2001-2014空色惑星