森

運命

「まさに歌姫!」
 常連の男は熱のこもった瞳で酒場の女主人に話す、と言うよりも怒鳴りつける。酒が入っているため、男の連れも同じ様子で、
「そうそう、周囲にあった木々なんかもさ、まるで歌声に身を揺らすように、風もないのに揺れてたんだよ」
 二人は夕方、今話題の歌姫の野外コンサートへ出かけていたらしい。そこで見た一部始終を繰り返し述べている。そうとう感激したらしく、先ほどから何度も同じ話を繰り返す。二人の相手をしている女主人は商売用の笑みを崩さぬまま、相槌をうつ。
「まぁまぁ、それじゃ魔法みたいねぇ」
「魔法だとっ!」
 突然割り込む男の声。黒尽くめの身なりに、伸びきった髪。この街じゃ有名な変わり者、ウィル・グラント。軍人一家の長男でありながら、おとぎばなしの世界に登場する魔女や魔法を研究しているらしい。
「なんだ、その歌姫と言うのは!」
 かなり前から盗み聞いていたらしい。
「いえ、あのね……」
 女主人が露骨に迷惑そうな顔をするが、
「今、街に来ている歌姫クリスティーン・シュワルツのことか!」
 ウィルの手にはパンフレット。
「あんたも聴きに行ってたのかい?」
 ものめずらしげな顔で女主人と酔っ払いは彼を見る。
「やはりか――」
 彼には会話は通じない。常に一方的にしゃべり、一人で結論を出すタイプの人間。
「……女には花だったな……」
 ブツブツ呟きつつ、酒場を出てゆく。女主人がお代をもらっていないと気づいた時にはすでにその姿はなかった。

 ☆

 控え室に響く、やや大きめのノックの音。
「クリスティーン、またあんたにお客じゃないの?」
 マネージャーであるミモザ・ウェルトはにやつきを抑え切れない顔で扉へ向かう。今度もまた、金持ちの使いがこの町に滞在している日々の援助でも申し込みに来たのだろう。それまでにもすでに数件の申し出があったが、より良い条件で契約したいため全て保留扱いにしている。こんな芸当がやれるのはクリスティーン*シュワルツの歌声とその美貌の賜物だ。
 舞台用の衣装を脱ぎ、パステルイエローのワンピースドレスを身にまとったクリスティーンは表情を変えもせず、黒髪を梳く手を止める事もない。視線は鏡に映る自分の瞳をじっと睨み付けている。舞台上の朗らかで、包み込むような自愛に満ちた瞳とは正反対。同一人物とは思えないが、今の方が年相応と言うものだろう。
 だがこんなとき、もう少し愛想が良ければもっと条件が良く成るのに、と内心憤りつつ扉を開けたミモザは、商売用の笑みを浮かべることも、常套句をつむぐことも出来なかった。
 蒸せ返るほどの甘い花の香りが部屋に満ちる。
 怪訝な顔で戸口を見やったクリスティーンは、顔が見えないほど大きな花束を抱えた男の姿を目にした。
「どこに置けばいい?」
 男は無愛想な声で尋ねる。
「え、えっと、そうね、ここにでも置いてちょうだい」
 我に返ったミモザは机の上を手早く片付け、花束を置くスペースをつくる。ドサリと音が聞こえてきそうなほどの花束。花屋の軒先にある花を全て買い占めたとしか思えない量。それまでに届いた花束がずいぶん小さく見える。
 男はよれよれの黒い服に、寝癖が着いたままの頭。このような巨大な花束を贈りつける金持ちの使者としては不適当。かといって花屋でもない様子。
「あなた、どなた?」
 ミモザが怪訝な顔で尋ねるが、男は勝手に椅子に座り込み、
「疲れた。花ってこれほど重いものだとは思わなかった」
「ねぇ、どなた? どなたからの花なの?」
「それよりさ、水かお茶でもない? のど渇いた」
 男の言葉に、ミモザは怒りを押し殺し尋ねる。相手の正体がわからない以上、粗相があってはならない。
「あなたは何処の誰なの?」
「その前に水」
 男も引かない。
「水を出したら名前を言うの?」
 ミモザは乱暴に水を渡す。男はグラスを傾け、一気に水を飲み干すと、もういっぱいとばかりミモザにグラスを返す。
「クリスティーン、今夜の君の歌聞いてたよ」
 まさに傍若無人。クリスティーンを守るよう男との間に立ったミモザだったが、
「ウィル・グラント」
 不意に男が名を告げる。
「……グラントって……軍人一家で知られるグラント家の事? ちょっと招待客の一人じゃないの!」
「そうそう。たまには息抜きをと思って聞きに来てたんだよ」
 グラント家の息子は変わり者だ聞いていたが……。
 ミモザは青ざめる。
「申し訳ありません。そうとは知らず――」
「別に良いよ」
 男はミモザを邪魔だとばかり手で払う。ミモザも相手の正体が分かった以上、なるたけ機嫌伺いを仕様とばかり、
「お茶はいかがでございますか?」
「ちょっとクリスティーンと話したいから、黙ってて」
「……はい」
 不安げにミモザはクリスティーンを見やる。彼女はなぜか静かな微笑を浮かべ、面白そうな顔で男を見ていた。
 クリスティーンと組んだのはほんの数ヶ月前。彼女が路上で歌っていた歌声に惚れこみ、自分からマネージャーを申し出たのだ。組んで見て驚いたのは彼女のあまりの世間知らずさ。かなり遠方の田舎の生まれだと聞いているが、若い娘がただ一人、こんな場所まで旅をしてこれたとは思えないほど、世慣れていない。
 ミモザの不安が顔に出ていたのか、
「大丈夫、しばらく席をはずして下さい」
 客人の相手を嫌がる彼女からは予想し得ない言葉。ミモザは狐につままれたような顔をして控え室を後にした。

 扉が完全に閉まるのを確認し、クリスティーンは極上の笑みを浮かべウィルに向き直った。
「ようこそ、ウィル・グラント。お待ちしておりました」
「へぇ、そりゃ面白い」
「あなたが魔女の研究をされている以上、私に興味を持たないわけがありえませんもの」
「話が早いね、で、単刀直入に聞くけど君は魔女なのか?」
「えぇ」
 クリスティーンは楽しそうに頷く。
「森で生まれ育った、数少ない『力ある魔女』――その一人です」
 ウィルはじっとクリスティーンの瞳を覗き込む。
 彼女が本物の魔女であったとしても、始めてあった見ず知らずの、しかも魔女を研究している人間に『力ある魔女』であると話すだろうか。
「なぜそれを明かす? おかしくないか?」
 クリスティーンは小さく笑いを漏らす。
「私は『力ある魔女』ですもの。いくらかの運命を知っている――あなたと、私の間にあるものを」
 確かに『力ある魔女』であれば、いろんな魔法が使えるだろう。先見、予知、そんなものが出来て当たり前だと言われればそうなのだろうが……ウィルは考え込む。
 あまりに話が上手すぎる。
「心配されなくても大丈夫。私達がどのような出会い方をしようとも、どのような接し方をしようとも運命は必ず起こるもの。あなたが戸惑われることも、気にされることもない。あなたはご自分のしたいようにされれば良いのです」
「……ってことはだ、僕と君が出会うのは運命だったって事?」
「えぇ」
 クリスティーンは微笑む。
「あなたと私が出会うことによって、魔女はまた新たな道を踏み出します。それがどんな未来であるか……私には図りえないことではありますが」
「『力ある魔女』の君にわからないことがあるって?」
「力にもいろいろな種類があります。私にわかるのは、私とあなたの間にある運命だけ」
 かなり都合の良い力だ。どんな言い訳でも出来るらしい。
 ウィルは不適に笑う。
「じゃあ、僕がここへ訪れた目的をわかっているのか?」
「いいえ――」
 静かに首を振る。
「あなたがどのような事をおっしゃろうとも、私は『はい』とお受けするだけ。あなたとの出会いが運命ならば――私が何を言おうとも無駄ですもの」
「ずいぶん諦めがいいんだな」
「無駄な行動をするのが嫌いなだけです」
 にこりと微笑む。
 ウィルが考えていた以上に、あっけなく事が進む。捜し求めていた魔女が目の前に実在し、その上もろ手をふって協力を申し出ている事実は喜ぶべきことだが……あまりに話が上手すぎる。
 だが、彼女を勘ぐっても仕方がないことだ。魔女だと名乗るただの人間は今までにも何人かいた。だが、彼女は間違いなく本物だ。魔女の研究の大きな飛躍には彼女に協力してもらうしかない。
 だが……やはり話が上手すぎる。
「不安にならなくても大丈夫」
 クリスティーンは微笑みながら言う。
「あなたは魔女の研究で、あなたが思っている以上の成果を上げます」
「なぜわかる?」
「私が係わり合いのある運命だから――」
 瞳が寂しげにゆれ、それを隠すようにまぶたを閉じる。再び開いた瞳には、強い決意の光があった。
「あなたはご自分のしたいようになさればいい」
 ウィルはしばらくクリスティーンの瞳を見つめていたが、やがて諦めたように、大きく頷いた。
 それが運命であるならば、どのように足掻こうとも同じ結果になるだろう。
 ウィルは諦めたように大きく息をつき、
「わかった。じゃ、明日の夕食はうちに来てくれ」
「……夕食に?」
 怪訝な顔でクリスティーンが尋ねる。ミモザから何度も聞かされているが、この地方では独身の女性を夕食に招くと言うのはかなり特別なことだと言う。
「明日は親族で夕食会をするんだ。女性を夕食に招けって叔母が口うるさく言っているからな」
 クリスティーンは呆れ顔からやがて、面白そうな笑みを浮かべる。どうやらウィルはその意味をわっていないらしい。だが、親族での夕食会に招くともなれば――。
「わかりました」
 悪戯を思いついた子供のような笑みで、クリスティーンは大仰に頷いた。

 ☆

「女性を家に招くときは、夕食に招けば良かったんだよな?」
 朝食の席で不意に切り出したウィルの言葉に、グラント家に使えて四十年のベテラン執事セバスチャン・ロビンスは満足な対応が出来なかった。
 ガチャン、派手な音を立てて食器を落としたのはウィルの父ロバート・グラント。セバスチャンと同じ、呆れたような、それでいて理解できないと言った表情を露わに息子の顔を覗き込む。
「女性って――その――あれか? なんだ……いや、ま、お前もそんな年だし……いや、わかってはいたんだが――その、な?」
 三十代半ばにめとった若い妻は体が弱く、ウィルの出産と引き換えのような形で先立ってしまった。女手もなく、一人息子だからと自由にさせすぎていた結果、魔女の研究とやらに打ち込んでしまい、どうしたら良いか心配していたのだ。だが、やっと……。
 驚きと興奮と喜びで言葉にならない。
「何が言いたいのかわからない」
 ウィルは静かに食後のコーヒーを口にする。
「いつ、お招きを――いえ、そもそも女性はどこのどういった方でございますか?」
 セバスチャンはらしくもなくうろたえながら問い掛ける。
「クリスティーン*シュワルツだ」
「え、あぁ――」
 ロバートは必死に記憶を探る。その名をどこかで聞いた事がある。
 そう言えば昨日、息子が息抜きにと珍しく招待を受けていた事を思い出す。すばらしい歌姫だと言う評判を耳にしてはいたが……彼女の名がクリスティーン*シュワルツではなかっただろうか。
 ロバートは頭を抱える。
 流しの歌姫とは……姉のイライザに知れればまた一騒動だ。この間の夕食会でイライザが女性を夕食に招けと口やかましく言ってはいたが――ウィルはこの地方で常識の『夕食に女性を招く』意味を理解していない。
 理解していない……?
「まさか、今日来るように約束はしとらんだろうな!」
「いや、今夜来るように言っているが?」
「今夜! ……でございますか? 今夜はご親族での夕食会が――」
 ちらりとロバートを見やる。あまりに問題が大きすぎ、解決しようがないため判断を仰ぎたい様子。だが、ウィルはそんなセバスチャンの心などわかるはずもなく、
「一人くらい増えたって問題ないだろう?」
 何の気負いもなく言う。親族いのる席に女性を招くのは、婚約発表の意味になる事……わかっていないだろう。
 ロバートは息子への接し方を間違えていたことを嘆きつつ、
「ウィル、いくら何でも早急過ぎないか? 彼女も人気のある歌姫だ。忙しいだろう?」
「いや、来ると言っていたが?」
 ロバートとセバスチャンは顔を見合わせる。
 怒涛のごとく春が来た、とでも言うのだろうか。いや待て、そんな事はありえない、そんな風に言いきれるのは口惜しいことだが、本当にありえないことだ。
 クリスティーン*シュワルツは流れの歌姫。この地方風習を知らないとも考えられる。ただ単に食事に誘われた程度の思いで来るのかもしれない。
「彼女は――この地方の風習について、その、わかっているのか?」
 ロバートは頭に手をやりつつ尋ねる。これほど頭が痛む事は久々だ。
「あぁ、」
 のんきに答えるウィル。
「マネージャーのミモザにいろんな事を叩きこまれてるって――だから食事の作法や、風習などは地元の人間よりも詳しいかもしれないって笑ってたから心配する必要はないよ」
 ご馳走様とばかり席を立つ。
 ロバートとセバスチャンは掛ける言葉もなく、去り行くウィルを唖然と見つめる。それが本当ならば、彼女は親族の食事会へ呼ばれる意味も知っているはず。
 話があまりにも急すぎ、上手過ぎる。……ウィルは、騙されているのではないだろうか。
 だが今夜、彼女が来るというのであればもう止めようが無い。

 ☆

 夕食会は抑えようもないざわめきに満ちていた。その渦中にあるのがウィルとクリスティーンである。
 ウィルはいつも通り早々と食事を済ませ、それが仕事でもあるかのように瞑想状態に入っている。親族での食事会でしている、いつもの行動。顔には大きく、面白くないと貼り付けて。
 クリスティーンはこの食事会の意味を理解していたようで、上品なピンクのドレスに、同じ色のピンクのバラを胸元にあしらった装い。長い黒髪を高い位置で束ね、そこにもバラが飾りとして使われている。シンプルなデザインであるがゆえに、若い彼女の美貌をいっそう引き立てている。
「ロバート、ウィルに流れの歌姫を迎えるって何考えてんのよ? 一族の顔に泥を塗る気?」
 ロバートの近く座るイライザが、押し殺した声で不満を露わにする。
「それに、せっかく良い見合いの話を持ってきたのに――私の顔をつぶす気なの?」
 親族の動きを全て把握しているはずの彼女が出し抜かれた格好になっているのだ。怒らないはずがない。だが、それはロバートも同じ事。
「いや――急な話だったからな」
 言葉を濁すしかない。
 若いながらもクリスティーンは不躾な視線をものともせず、口さがない声が聞こえないでもなかろうに、完全に無視し、微笑を浮かべウィルの隣で食事をしている。
 ウィルが性悪女に騙されているのではないか、とも思っていたのだが、それならばもっとウィルがクリスティーンに対し恋愛感情のある言動を見せてもいいはず。だが、ウィルはいつもと何ら一切変わり無い。
 クリスティーンに話を聞いてみても、二人がであったのは昨日のコンサート。そしてその後、楽屋裏で交わした短い会話のみ。突っ込んだ話を聞こうとすれば、クリスティーンは天使のような笑みを浮かべ話をはぐらかす。

 誰もが納得できるような答えを聞き出すことは出来ず、いつもより二時間近く長引いた食事会もようやく終わりを迎えた。親族達を見送りに出ていたロバートは、引き返した部屋に息子と彼女の姿がない事に気づく。
「いつの間にクリスティーンさんは帰られたんだ?」
 セバスチャンは深刻な顔で首を振る。
「ウィル様の研究室へご一緒に行かれました――」
 研究室としてウィルが使っている離れには魔法研究と称し様々な気味の悪い物が散乱している。その為、誰一人として近づきたがらない。
「……若いお嬢さんを晩くまで引き止めるわけにはいかんだろう」
 ロバートはため息混じりに呟き、窓から離れを見やる。いつもカーテンがひかれ、中を伺い見ることは出来ない。魔法は暗いところの方が効果がある、などと行って窓を全て分厚いカーテンで覆ってしまっているためだ。

 さよならも言えないで
 別れなければならないあなた
 悲痛な叫びにしかならない想いを
 あなたは受け止めてくれるでしょうか

 歌声が聞こえる。優しく全てを包み込むような、美しい歌声。どこか哀しく、どこか切なく、それでいて愛しさに満ち溢れた声。
「――歌っているのか?」
 ぎゅっと胸を締め付けられる。忘れようとし、実際忘れかけていた記憶が鮮やかに蘇り、痛みも、苦しみも、愛しさも全てがまるで今、体感しているかのように去来する。歌声は高く、低く、優しく響き、胸の傷を癒すように、柔らかな曲調をとる。
 誰もが動きを休み、その歌声に聞き入っている。
 自分が涙を流している事に、しばらくしてロバートは気づいた。
「いかん、」
 袖口で涙をぬぐうと、セバスチャンが苦笑している。
「噂にたがわぬ、すばらしい歌声でございますね」
「あぁ」
 ロバートは短く答える。歌姫と名高いだけの事はある。

 ☆

 ランプに煌々と照らされた室内。かび臭い本が壁一面山と摘みあがり、様々な用途不明のセンスのないインテリアが所狭しと積み上げられている。部屋の中央で一曲歌い終えたクリスティーンはいつも通り、優雅に一礼する。
 片手にノート、片手にペンと行った格好で彼女の歌声を聞いていたウィルは首を上げ、
「魔法のスペルが上手い事組み合わせてあるな」
 簡単の声を上げる。誰もが聞き入る歌声を冷静に分析している。魔女が苦手とする、魔法が効き難いタイプの人間らしい。
「他にも何曲かあるけれど……これが一番受けが良いの」
「歌詞も受けがよさそうな内容だからな。他の歌は?」
「ごめんなさい、今晩はこの一曲だけにしてもらえないかしら。魔力を込めた歌だから一曲歌うのにとても疲れるの」
「……そうか、それもそうだな」
 もう数回同じ歌を聞こうと思っていたウィルは落胆の色を隠さなかったが、クリスティーンが全面的に協力すると言っている以上、急ぐ必要もないと悟り、ノートを閉じる。
「じゃ、今日はもう良いよ。明日は何時に来れる?」
「いつでも。あなたが私の生活を援助してくれるのならば、あなたのためだけに歌を歌えるのだけれど――」
 クリスティーンが悪戯な光を瞳に宿らせ提案する。ここまで言えばさすがに意味を理解するだろうと思って。
「そりゃいい。だが、父上に相談してからでなければ……一存で家の金を自由にする事は出来ないんだ」
 微笑むクリスティーン。ウィルはクリスティーンの言葉の意味が丸でわかっていない。
「住み込みでも構いませんよ」
「あぁ、そうだな……それが良いな。じゃ、セバスチャンに部屋を用意するよう言ってくるよ」
 部屋を後にする。
 クリスティーンは閉じられた扉をじっと見つめたまま、
「本当に魔法以外には興味が無いのね」
 楽しそうに微笑んだ。

 ☆

 ウィルの魔女と魔法の研究はずいぶん進んだ。発表する論文も以前とは少しばかり扱いが良くなり、ある日、ミランダ・ニースンの目に止まる――。

 ☆

 あの夕食会から数ヵ月後のある日、クリスティーンを部屋に送ろうとしたウィルは首をかしげた。いつもならばさっと立ち上がり、歩き出すクリスティーンが立ち上がろうともしない。
 そう言えば夕方、知り合いからだと言う手紙を受け取ってから様子がおかしい。何かに怯えてでもいるかのように、不安そうな表情をしている。
「どうしたんだクリスティーン? もしかして魔力を使いすぎたのか?」
 自分では気の利いた、と思っている言葉をかける。いつもならばクリスティーンは優しく微笑みながら、
「違うの、ウィル」
 と、答えるのだが、今日は違った。彼女は顔を上げようとはせず、
「ウィル――」
 思いつめた声を上げる。
「何があった?」
 問い掛けるウィルの声は相変わらず表情のないものだが、他の人間へ対するものとは違い、どこか優しさを感じる響きを持っている。自分がそう感じたいと思っているからなのか、それとも……。
 クリスティーンは自分の思いに自嘲の笑みを浮かべ、首を振る。
「いいえ――」
 立ち上がり、歩き出す。
 ウィルが悪いわけじゃない。まして、私が悪いとも言えない。魔王が言っていたではないか。どのような事が起ころうとも全ては運命だと――でも。
 クリスティーンはぎゅっと瞳を閉じる。いつも脳裏に浮かぶのは生まれ育った、穏やかで懐かしい森。
 旅立つときに覚悟したはずだ。どのような事があろうとも、全てを受け入れると。私が全てを受け入れれば、魔女の楽園は近くなる――と。
 けれど――夕方の手紙に書かれていた事実はあまりにも残酷だった。ウィルの研究によって、『魔女』の存在を肯定する人間が増え始めた。まだ、数は少ないが、やがて全ての人間が魔女の存在を認めるようになるだろう。それは魔女達にとって当然であり、喜ばしい事なのだが――まさか、過去の惨劇として伝えられる『魔女狩り』が再び始まろうとは……。
 手の先は冷たく、握り締めた指は白い。かといって、指先に力も入らず、ただ、クリスティーンは震えていた。
 自分はこのまま幸福に暮らしていてもよいものなのか? すでに幾人もの仲間達が捕らえられ、拷問の末命を落としていると言うのに――。
 ウィルの顔を見れば決意が鈍る。でもここで覚悟を決めなければ、自分はきっとだめになる。『魔女狩り』の事を忘れ、幸福になど暮らせない。
 自室のドアは目の前。
「ウィル、」
 言葉が続かない。ウィルに伝えたいことはたくさんある。でも……言えない。決意を鈍らせたくない。
「……ありがとう」
 うめき声にも似た声を上げる。
「何がだ? クリスティーン?」
 いぶかしげな声を上げるウィルに、クリスティーンは妙に柔らかな微笑を浮かべた顔で振り返り、
「おやすみなさい」
 まるで別れの挨拶のような声色。
「あぁ、おやすみ」
 ウィルはいつも通り言葉を返す。彼女の異変に気付くことなく。

 ☆

 翌朝。
 なかなか朝食の席へ姿を見せないクリスティーンを不信に思い、ウィルは彼女の寝室へ足を向ける。そこにあるはずの姿はなく、枕もとには一通の手紙。
 ウィルは嫌な予感に、急いで手紙を広げる。そこに書かれていたのは、彼女がこの屋敷で一番最初に歌った歌の歌詞。

 さよならも言えないで
 別れなければならないあなた
 悲痛な叫びにしかならない想いを
 あなたは受け取めてくれるでしょうか

 あなたといる ただそれだけの幸せを
 あの頃の私は当たり前の事と受け止めて
 あなたがいる ただそれだけの時間を
 今の私は取り戻したいと願っています

 喜びも 切なさも
 あなたと過ごした全ての時間が
 やがて想い出へと変わる
 その現実に 私は震えるばかりです

 さよならも言わないで
 別れなければならないあなた
 あなたへの想いを言葉にすれば
 ただ一言 愛しています

 クリスティーン

 何度も何度もウィルは手紙を読み返す。何度も聞いた彼女の歌声が手紙をたどるように脳裏に響く。
 何故、急に出て行くんだ? それにこの歌詞の意味は? なぜ、さよならも言わないで別れなければならないのだ?
 問いかけようにも、彼女はいない。

 ☆

 ウィルは自分の研究を元にして始まった軍部の『魔女狩り』など知ることもなく、その後も魔女に関する研究の第一人者として活躍する。
 その一方、クリスティーンの行方を探すのだが、彼女とは魔女と魔法に関して以外の話をした事がなかったため、ようとしてその行方を知る事は出来ず……七年後、彼は彼女の死と息子カイの存在を知る。

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『運命』をご覧いただきありがとうございました。

05/3/27 半年くらい前に書き上げて、仲間内で作った同人誌に載せてたのをちょこっと手を入れて掲載。これで『森』シリーズのネタは全て使い切った…はず。本編が六年位前に書いたものなので、あまり良く覚えてないのだけれど。グラント家の男達(ロバート、ウィル、カイ)って対人がダメですね(最近気づいた)。けれど、奥さん(サラ含む)は綺麗で若い人が多いし(今ごろ気づいた)。

2008/02/01 一部修正。
2012/01/14 訂正

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