■始まり
その村は山深く、この世界では物珍しくなってしまった森に囲まれ、何かから逃れるかのようにひっそりと存在していた。
ある夏の初めのこと。
夜半過ぎ、一人の男が半死半生の状態でこの村へと運ばれてきた。身元がわかるようなものは何一つ所持しておらず、旅人、という風でもない。
人の訪れることのない、辺鄙な村の近くに倒れていた若い男――怪しげではあるが、見殺しにするわけにもいかないだろうと、村の外れにある空き屋敷に運び込み、看病することにした。幸いにも明け方には男の容態は落ちつき、村人たちは見張りを残し、家へと帰っていった。
昼過ぎ、彼は意識を取り戻した。
「……あ……ここ、は？」
「気がついた？」
半時ほど前から見張りを交替したリアは、読んでいた詩集を置き、男が起き上がろうとするのを助ける。
男はゆっくりと顔を上げて、彼女の顔を不思議そうにじっと見つめ、さらりと髪を揺らしながら、ゆっくりと部屋の中を見回す。カーテンの隙間から、微かに差し込む日の光に受けてきらめく鮮やかな金髪。整った顔立ち。深いブルーの瞳。
リアはどきりと胸を高鳴らせる。
（かなりのいい男！）
男は困り果てたように再びリアに視線を戻す。リアは慌てた様子で、
「あ……カ、カーテン開けるわね」
そそくさと男のもとから離れようとするのを、男は腕を伸ばして捕まえ、
「いや、いいよ。このままで……君、は？」
「私？ 私はリア」
心なしか声が裏返る。
「リア・ワイテット。あなたは？」
「僕は……アレン。アレン・ウイザード……」
「アレン、さん……ゆっくり休んでください。まだ寝てなきゃいけないわ」
頬を赤く染め、リアはやっとそれだけ言った。
アレンは素直にベットへと潜り込み、すぐに眠りに落ちてしまった。
リアはアレンが眠るのを見届けると、彼が意識を取り戻した事を報告するために屋敷を後にした。
■孤独×孤独＝孤独
狭い小屋のような家。サラはそこで、年の離れた姉とともに暮らしていた。両親はいなかった。サラが小さいころに死んでしまったのだ、と姉からは聞かされていた。
うるさいほどの鳥の鳴き声に、サラは眠い目をこすりながら、もそもそとベットから起き出した。家の中は静かで、人の気配がない――姉はいつものようにいなかった。
朝食を食べようにも、何も用意などされていない。火は絶対に使うなと姉に言い渡されているため、食事を作ることもままならない。サラは玄関の敷石の上に座って、いつものように姉の帰りを待つことにした。
昼過ぎ、やっと姉が帰ってきた。
「お帰り、何かあったの？」
姉は妙に嬉しげだった。いつもなら、サラと決して話をしようとはしないが、機嫌のいいときにはサラと話をしてくれる。
「悪いけど、答えてる時間はないの。私はしばらく家を空けなきゃならないから、勝手に料理作って食べてて……もちろん、掃除や洗濯、畑も手入れしなきゃだめよ」
言いながら、鞄に着替えを詰めてゆく。
「姉さん、どこに行くの？」
「村長さんに重要な役目を言いつけられたの！ いい？ 絶対に家を空けるんじゃないわよ」
姉は鼻歌を歌っている。
サラはもう一度尋ねた。
「姉さん、どこに行くの？」
「話し掛けないで！」
姉の鞄は見る見る膨らんでゆく。
「それとって、」
「これ？」
姉が指差したのは棚の上におかれた二つの指輪――
「そうよ、早く」
それは、父と母の形見の品。
「姉さん……」
「早く取ってったら」
「帰ってくるんでしょ？」
サラは不安いっぱいで尋ねる。
「……あのねえ、あんたもう十歳でしょ？ 一人で暮らしていけるわよね？」
「……」
「全く……」
サラの手から指輪を乱暴に取り上げると、姉は膨らんだ鞄を持って、駈けるように家を出て行ってしまった。振り返りもせず。
去ってゆく姉にサラは、声をかけられなかった。姉は昔からサラを嫌っている、けれど、サラの肉親は姉しかいない。
姉に見捨てられたら――。
サラはぎゅっと唇をかみ締めた。
これ以上、姉さんに嫌われちゃいけない……。
■魔女の力＝魔法
アレンはリアの看病によって日に日に良くなっていった。
彼は、自身を魔法について研究している学者だと名乗った。彼のする旅の話、魔法の話……全てがリアには新鮮で楽しかった。
ある日、彼は魔法陣が刺繍された布を取り出し、いたずらっ子のような瞳で、
「いいかい？ よく見てて」
低い声で呪文を唱え始める。
リアが言われた通りその魔方陣を見ていると――魔方陣は青白く光り始め、その光は徐々に光量を増し、小さな炎と姿を変えた。
「……これ、」
リアは言葉を詰まらせる。
――頭をよぎる忌わしい記憶。
空中に炎を出現させる幼い妹、リアはただ綺麗だと思い、その青白い炎を見つめている。
驚愕に見開かれる父と母の瞳。幼い妹は両親のその変化に怯え、泣き出す。
コントロールを失ったかのように炎は空中をふらふらと彷徨う。やがて……炎はあちこちを舐め始める。
赤く、熱を発し、燃え上がる部屋。泣きじゃくる妹――父と母は、私たちを助け出そうとして……。
パンと炎は弾けるように消えた。
「どう？ 驚いた？」
リアの様子に気づく様子もなく、アレンは明るい声をあげる。リアは蒼ざめた顔で、
「今の、魔法？」
やっとそれだけ、言葉に出した。
「ああ、驚いただろ？ 魔方陣には魔法を増幅させる働きがあるんだ。その中でもこれは変り種でね、魔女じゃなくても炎を出現させることが出来る、言ってみればマッチみたいなものなんだ」
「へぇ……すごい……わね」
アレンは陽気に言った。
「君もやってみる？」
リアは首を振るが、アレンは陽気に、
「大丈夫だよ、簡単にできるんだから。呪文はね……」
言われたとおり、やってみる。
震えが止まらない。手も、指も、唇も、言葉も……皆、なにかこの先にある恐怖に震えている。
「こりゃすごい！」
アレンは感嘆の声を漏らす。
「君、魔女の血を引いてるんじゃない？ すごいよ！」
炎。
青い、綺麗な炎。
あの時と同じ……それ以上の魅惑的な輝き……
リアは意識を失った。
「大丈夫？」
声に目を開ける。
「あ……私……」
きょろきょろと見渡すと見覚えのある部屋。
アレンの使っているベット。
「私……」
「急に倒れたからビックリしたよ」
微笑。
「君には魔法の才能があるみたいだね。続き、やろうか――」
「私――」
「君には魔法の才能がある！ 魔法の研究に協力してくれないか？」
リアは泣き出しそうな顔で首を振る。
「君はその才能を無駄にするのか？」
「僕は君と違って魔法を使う才能がないんだ！」
「才能ある君は僕の研究に協力すべきだろう！」
「僕を見捨てるのか？」
「頼む！ 僕を助けてくれ！」
「君の才能はすばらしいものなんだ！」
畳み掛けるような言葉の羅列……リアは震えながら、了解した。
リアはアレンに教えられる魔法を次々習得していき、魔方陣がなくても魔法が使えるようになっていった。アレンはリアが魔法が使えるようになればなるほど、嬉しげに、リアに微笑みかけた。
■軍人というレール
【都市】で代々、軍人一家として名声を馳せているグランド家で育ったカイは親族の期待を裏切ることなく、十七歳のとき軍人になった。決して親族の力もなかったともいえないが、カイは最年少で少尉の地位を手に入れた。十九歳のとき、『自然回復プロジェクト』の一環である、通称『魔女狩り』隊に配属された。
『魔女狩り』は、現在ではおとぎ話の世界に生きる『魔女』を捕らえ、魔女の力を持って、森を回復させようというプロジェクトだった。そう、『魔女は森とともに生き、森のために死ぬという』と言う昔からの言い伝えを実行しようとしているのだ。それほど、この世界の森は危機に瀕しているともいえる。
『魔女狩り』の主な任務は、魔女がいると噂される場所へ行き、魔女だと噂される人物が魔女であるかどうかを確かめることだった。その人物が魔女であった場合、何でもいいから罪状をでっち上げ収容所へと連行する……。
今回、カイが赴いたのは本当に小さな村だった。山奥にあり、魔女が隠れ住むのには恰好の地――村人は温厚で、人当たりがいい。
ぶらぶらと村を見て周る――ように見せて、注意深く観察をし、村の地図を頭の中に組み立て、村中の人間の数やどんな人間がいるかを調べていく。
「……あれ？」
黒髪の小さな女の子が玄関先の敷石の上に座っていた。いつもなら、なんとも思わないのだが、何かがカイをその場に留まらせた。
近くを通りかかった村人にその女の子のことを尋ねる。村人は言葉を濁し、吐き捨てるように言った。
「あいつにゃあ、関わらねぇほうがいい」
カイがこの村に来て、このような対応をされるのは初めてだった。みな、何を聞いてもほがらかに答えてくれていたというのに、その女の子に対しては何故かよそよそしい。
「忠告は有難く聞いとくもんだ」
そう言うと、その村人は去って行った。あいつは悪魔なんだという言葉を吐き捨てるように言って。
どうも穏やかじゃない。
女の子に対する態度と、よそ者のカイに対する態度、これが反対であるのならば何ら不思議はなかったのだが……。
カイがその女の子に声をかけようかどうか迷っているうち、少女はバタンと扉を閉め、中へ入ってしまった。
辺りは、赤く、夕日に染まっていた。
泊めてもらっている民家の一室で、カイは紙に書いた図を睨む。
「村人は……これだけか」
限りなく円に近い月が、その一室に光をそそいでいた。
「魔女らしい者なんていないな……」
ベットへ仰向けになり、重いため息を吐く――。
自分の行っている任務に対する、罪悪感が重く胸に圧し掛かる。収容所へと連行された魔女は決して人並みの扱いを受けているとはいえない。日々、命を削るほど魔法を使わされ、森を育てるている……。
しかし、カイがこの任務を放棄すること……軍人を辞めることはできない。グランド家に縛られているカイには……。
■悪夢の始まり
翌日、村はずれにある屋敷の窓から見上げる空は見事に晴れ渡っていた。
アレンはすっかりよくなっていた。しかしリア以外の村人の前では未だに具合が悪いように振る舞っている。
「アレン、今日は何を……？」
こわごわとリアが尋ねる。
「そうだな、今日は僕が良いと言うまでこの部屋に入らないでくれ」
「……どうして？」
アレンはいつもの、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、
「プレゼントを用意しようと思ってね」
ウインクを一つする。
「返事は？」
「……わかったわ」
リアは震える声で答える。アレンは明るい声をあげる。
「僕が入っていいって言うまではだめだからね」
リアがその部屋から外へ出ると、部屋の内側からは鍵がかけられた。
■少女の小さな望み
カイは昼過ぎになってようやく起きだした。
あらかたの調査は、前日でもう終ってしまい、これ以上することなど何もないのだが、この村の調査するために与えられた日数は、一週間。この村に来るまでに二日間を要し、昨日一日調査に使ったわけだから、後四日間も残りがある。調査が終了したと帰還しても何ら問題はないが、カイはそこまで仕事熱心なタイプではない。
仕方なく、カイは前日の調査の続きを始めた。といっても、ただ、だらだらと無意味に村をうろつきまわるだけだが……。
「ねえ」
小さな声。その声が、自分に向けられているとは気づかず、カイは通り過ぎようとした。
「ねえってば」
やっと辺りを見回す。
「ここよ」
声の主はあの女の子だった。
「君は……？」
女の子はカイに目があうと、にこっと微笑み、
「私はサラ。あなた、何してるの？」
「何って……」
カイは言葉を詰まらせる。子供は変なところで勘がいい。とくに、この手のタイプは……。
「なんだかこの村のこと調べてるみたいね」
やはり……。
「そんなことないよ。僕はただの旅人だよ。ま、ふらふら旅してまわってるだけだけどね」
注意深く答える。自分が魔女狩りをしていると気づかれてはならない。一般には、魔女なんてものはおとぎ話の世界の住人と認識されているのだから。
「そう……旅……」
サラは寂しそうに呟く。妙に気になって、カイはサラに話し掛ける。
「家の人は？」
「今は、私だけよ」
「私だけって……、君、まだ子供じゃないか。大人は？」
サラは小さくため息を吐く。
「……姉さん、どこかに行っちゃったから」
「どこかって？」
「知らない」
首を振る。
「そう……あ、そうだ、君の姉さんの名前は？」
「リア。リア・ワイテット」
「わかった、探してみるよ」
手を振ってサラと別れる。カイはどうして、サラの姉を探そうという気になったのか自分でも良くわからなかった。いないというのだから、出稼ぎか何かで、遠くの街に行ってしまっている可能性もあるというのに。
その可能性に思い当たりカイは薄く笑みを浮かべる。
全く、僕はどうにかしてる。
ちらりと、サラが座り込んでいる玄関先に目をやる。
サラはどこを見るでもなく、じっと遠くを眺めている。
また、昨日のようにまた夕方まで姉の帰りを待って玄関先に座っているのだろうか……。
案外簡単にリアの行方はわかった。
一日中フラフラと村を歩き回り、宿である民家への帰りがけ、日暮れ時になって、カイはサラのもとを訪ねた。
サラに逢うことに何故だか、少々戸惑いがあったため、これほどまでに遅くなってしまってもいた。その戸惑いがどこから来るものなのか、カイ自身わからない。
けれども、
「サラ、君の姉さんの行方がわかったよ」
玄関先に座り込むサラに声を掛けたとき、カイは何故もっと早く教えなかったのかと後悔した。サラはカイの言葉に一瞬目を輝かせたが、戸惑ったようにうつむき、
「でも……」
不安そうに目をそむけた。
「大丈夫だよ」
カイは何ら根拠もなくサラを励ます。そして、優しい笑みを浮かべながら、
「さあ、行こう」
サラの手を取った。サラはふっとカイの顔をみあげ、
「でも私、家から離れられない……」
哀しそうに呟く。カイはサラの頭に手を載せ、穏やかに声をかけた。
「村の外れの屋敷って、僕は知らないんだ。案内してもらわないと」
「でも……」
カイの言葉で立ち上がりはしたものの、それでも、サラは玄関先から動こうとはしなかった。何かに怯えているかのように、不安そうな目をカイに向ける。
「今迎えに行かなければ、姉さん、帰ってこないかもしれないよ。さあ、案内して」
カイの優しげな微笑に、サラはゆっくりと頷いた。
■魔法の力を強める、満月と魔方陣
一番星が輝き始めた頃、リアは仰々しくアレンに部屋に迎え入れられた。部屋の中は巨大な魔方陣に彩られ、窓からは丸く満ちた月の光が降り注ぎ、部屋は幻想的な雰囲気に満ちている。
「……ア、アレン？」
何か気味の悪いものを感じ、リアはアレンに助けを求めるように彼の顔を見た。
「今日はもっと大きな魔法を使ってみようと思ってね。満月は魔法を増幅する働きがある。巨大な魔法陣もまた、ね」
リアの不安を予想していたかのように、アレンはウインクとともに答える。
「――え？」
「ちょっと大掛かりなんだけど、きっと君も気に入るよ。すごい魔法だから」
アレンはいつも以上に妖艶な微笑を彼女に向ける。
「ほら、そこの椅子に腰掛けて」
リアは不安そうに尋ねる。
「アレンは……？」
「僕はこっちに座るから」
アレンは香に火を入れると、巨大な魔法陣の中に向かい合わせになるように設置された椅子に座った。
「君に教えた呪文があるだろ？ あれをずっと唱えて」
リアは不安ながらもアレンに言われたとおり、低い声で呪文を唱え始めた。アレンもリアにあわせるかのように同じ呪文を唱え始め、その声はやがて重なり合い、幻想的な雰囲気に溶けてゆく。
香が部屋に満ち始め、やがて、体はしびれ、動かなくなった。あたりはうっすらと霞み、頭はぼおっと、奥の方が痺れてきた。けれど、不安感は無くなった。ここにはアレンがいる。アレンが……目の前にいる。
魔方陣は淡く輝きだし、二人を包む。世界が融合し、混ざり合い、凝縮し、魔法の光を纏いながら収縮してゆく。
「綺麗……」
その言葉を発したのはどちらだったのだろう。
瞬間、魔法の光は失せ、丸い月の光がその部屋の気味悪さを浮き立たせていた。
リアは立ち上がり、目の前の椅子に坐ったアレンに異様な微笑を向ける。そして、椅子ごと彼を蹴り倒した。
■安心を与えてくれる人は
サラとカイは空屋敷に向かって歩いていた。サラは昔から見知ったもののようにカイにいろいろな話をする。
「父さんと母さんは私がまだ小さかったとき、火事で死んでしまったらしいの」
「小さい頃から苦労してるね」
「姉さんはね、私のこと嫌いだって言うの。でも、姉さん、私がいなければ……」
私がいなければ……そういったとき、少女は無意識的にだろう。瞳に少女らしからぬ、暗い輝きを灯していた。
「姉さん、もう結婚しててもいい年だし……」
サラの歳からは考えられないほど淡々と、冷静な声色で話している。だが、まだサラは幼い。それはただの強がりなのだろう。
カイは少女の頭に手をぽんぽんと載せ、
「姉さんのことより、自分のことを考えたほうがいい。君はまだ、子どもなんだから。心配するのは大人にまかせて、君は 思い切り子供時代を楽しまないと。人生の中で一番楽しい時期に、そんな暗い顔をしてちゃだめだよ」
「…………」
「何だろう、光ってる……あれがその屋敷？」
カイの指差す方向に古ぼけた屋敷が一つ、闇の中に浮かび上がっている。
「うん。……なんだろう、あの光。あそこには電気は通ってないから、ランプしかないはずなのに……」
屋敷から漏れ出しているのは淡い、不思議な光。
それは、カイがあの時見た、魔法の光に似ている。
カイはひらりとサラを抱き上げると、屋敷に向かって駆け出した。悪い予感に身を震わせながら。
カイは屋敷の中から見えないように、気配を殺し、窓から中の様子を覗う。
淡い光、むせ返るような香の薫り、そして向かい合うように椅子に坐った二つの人影。丸い月の光に照らし出される部屋の様子は、異様なものだった。
「あれ、姉さん」
サラはその雰囲気を察してか、押し殺した声で、部屋の中の女性を指差す。もう一人は――アレン？
カイがよく見ようと、身を乗り出したときだった。女性――リアが立ち上がり、男性へ近寄り――――椅子ごと、男性を蹴り倒した。
低い、笑い声を漏らし始めるリア。
サラは青い顔で振るえている――リア、ではないということか？
カイはサラを抱きかかえ、その場から走り、遠ざかった。悪い予感、という以上の震えを感じながら。
サラは、カイの腕の中で放心したように、じっとしていた。
■「悪魔」と呼ばれた魔女
「んふふふふふ…………」
リアの姿をした何者かは低い笑い声を漏らす。
湧き上がる魔力。強く、深く、濃い……素晴らしい潜在魔力。徐々に、徐々に、その魔力を高めていく。
「ふ、ふふふふふふふふふふふ…………」
まさか、この女がこれほどまでの魔力を秘めているとは思わなかった。前の肉体は使い物にならないほど、魔力を使い過ぎていたからな…………それに比べこの肉体の秘める魔力の多さ。素晴らしいとしか言いようがない。
あの日、ルカが死んでしまってから、魔法で不死を維持していくことが出来なくなってしまった。そのため考え出したのが、人の肉体をのっとるという方法だった。
だが、この方法は肉体に多大な負担をかけるらしく、数年で新しい肉体を手に入れなければ、自滅してしまう可能性があった。また、あまり長い間同じ肉体の中にいつづけると、肉体の持ち主の精神と融合してしまい、自分自身でいることが出来なくなる危険性があった。
新たな肉体の持ち主は魔女でなければならなかった。肉体の主が魔法を使えなければ、次の肉体に移る事ができないからだ。
次の満月を待っていたら、私は確実にアレン・ウイザードの魂と融合していただろう。良いタイミングで、良い肉体が手に入ったものだ。
「ふふふふふふふふふ…………」
急激に高めた魔力によって、かまいたちにでも斬られたように、腕から、足から、血が噴出す。
やっと限界か……。本当に素晴らしい魔力を秘めた肉体だ。
さあ、この力を解き放とう。一気に。凝縮させ、より強く、より深く、より濃くなった魔力を。
リアの白いワンピースは赤く、黒ずんでいく。
いつまでも維持しているわけにはいかないな。肉体の方がもたない。もう少し、この素晴らしい魔力を感じていたかったが……。
その日、ひとつの爆発が起きた。
その爆発による揺れは三つの国に達した。爆心地から半径三十キロの地域は瓦礫と化し、半径百キロの地域では木々が爆心地から外へ向かってなぎ倒された。なぜ、このような現象が起こったのか、誰にもわからなかった。
リアは肩で息をしながら、その場へたたずんでいた。彼女がたたずんでいる地面、それは村はずれの空家の床に敷き詰められていた床板だった。その小さな床板以外、辺りにはなにもない。
雲一つない空、見渡すことのに邪魔になるような建物も、木々も。掃きさられたような大地、そしてごつごつとした岩。大気は激しく震え、荒れている。
「何が……あったというの……？」
リアは床に崩れこむ。そのとき、ふっと目に入る。
「……あれ？ 真っ白いワンピースのはずなのに……」
それが、血だとわかると、それまではなかった痛みが体中からし始める。
「痛い、痛い、痛い…………」
リアは大声で泣き出す。
「痛い、痛い、痛い……！」
そして、しだいに泣き疲れ、深い闇のそこに引きずり込まれるように眠り込んだ。
■生き残った者
「う……ん……」
カイはうっすらと目を開ける。見たことの無い風景――同じ方向に向かってなぎ倒された木々。葉は無く、無惨な枝を剥き出しにしている。大地は、茶色く禿げ上がり、地中に埋没しているはずの岩が剥きでていた。
「…………何なんだ？ 一体」
ようやく思い出す。
空家から漏れ出す不思議な光、部屋の中に描かれた巨大な魔方陣、満月、香――。そして、二人の人影……。
起き上がろうとして自分がかばうように抱いていた、小さな女の子に気づく。
「サラ……。この子も……魔女？」
そうに違いない。巨大な魔法陣の中にいたのはアレンとサラの姉、リア。あれほど巨大な魔方陣を使い、あれほどの魔法が使える魔女を姉に持つ少女――つまり、サラも強力な魔力を秘めた魔女である可能性が高い。
「助かったのはこの子の力……か？」
生きたまま魔女を捕らえること――それがカイの任務だが……。
サラはまだ幼い。
「……あれ？ 姉さんは……」
サラが目覚める。顔色は悪く、怯えたような光を瞳の中に宿している。
「大丈夫？ サラ」
カイが声を掛ける。
「夢、だよね……あれ……」
助けを求めるような声。けれど、周りの風景はそれを『夢』でないことをひしひしと訴えている。
「僕が見たことと、君が見たこと。同じだよ」
「じゃあ……」
サラは言葉を詰まらせる。少女らしからぬとはいえ、サラはまだ幼い。
「なんで……？」
その問いも理解できる。たった一人の肉親だった姉が、いなくなり、見つかったと思えば姉の外見をしてはいるが、まったく姉とは違う、異質な人間になっている。そして、気味の悪い笑い声を発しながら、姉の姿をした者は……この、奇妙な風景を作り出したことに、幼いながらもサラは気付いているのだろう。
「どうして？ 何か知ってるんでしょ？」
サラはカイに尋ねる。不審な男、つまりカイが村に現れた時からその現象が起こったように、サラは感じているのだろう。
「……あれは、魔女なんだ」
ぽつりとカイがつぶやく。その言葉に、
「魔女？」
サラが聞き返すが、カイはそれ以上語ろうとはしなかった。
■あれから七年後
あれから七年の月日が過ぎた。サラは優秀な成績で、【学園】と呼ばれている軍人養成所を卒業し、カイと同じ軍人の道へ進んだ。
サラはすぐにカイの下へと配属された。カイは優秀な軍人であるのだが、ひどく変わり者として有名で、彼の下へ配属された者で一年ともった者は無い。カイと親しいサラが、彼の下へ配属されたのはそんな理由もあったのかもしれない。
「まったく君は優秀だねぇ」
新人歓迎会、というよりも下町にある酒場での夕食の席でカイはからかうようにサラに言った。
「ちょっと、いつまでも私の成績証明書なんか見ないでよ」
そんな二人の様子は端から見れば、若いカップルがデート先でも探してもめている、というふうに見えているだろう。
青いスーツを着、黒髪を頭に編み込むように巻き付けたサラは、フォークにペペロンチーノを絡ませ、カイを睨み返す。
「僕は君の上司、君の書類を見る必要性があるんでね」
答えるカイも黒髪で、上司と言うわりにはまだ二十代であるかのように若々しい。サラが始めてカイに出会った時とほとんど変わっていない。こちらは私服姿である。
「そんなもの今さら見なくても、私のことくらいわかってるんでしょ？」
「いやいや、僕の評価じゃなくて、他人の評価を見てみたいんだよ。くくく……」
サラの学園時代の成績表を見ながら、カイは苦しそうにお腹を抱えて笑っている。
「何が可笑しいの？ 笑えるところなんて無いでしょ？ 成績証明書なんだから」
むっとサラが言い返すと、カイは成績証明書の束を抱え、
「いや、君ってすごい猫っかぶりだと思ってね。どれを見ても真面目で優秀って文字が躍ってる」
笑いながら言う。
「私、猫なんて被ってないわよ」
益々むっとしてサラが言い返すと、カイは急に笑いを止め、真面目な顔で言った。
「いやいや、上司に向かって溜め口きく新人なんて初めてだよ」
サラは眉根を寄せ、じっとカイを睨みつけると、
「それは気付きもしませんで申し訳御座いませんでした。これからはまともに敬語を使わせていただきます」
サラはふくれた様子で、ペペロンチーノを口の中に詰め込む。
カイは先ほどまでの笑いを噛み締めた様子に戻ったが、
「さて、それはそうと任務についてだけど」
先ほどまでの話の続きという感じで、仕事の話に移る。
口の中に溢れるペペロンチーノに邪魔され、サラは唸るような声で答えた。
「くくく……いいよ、そのままで。任務って言ってもはっきり言ってしまえば 『噂の真相』ってやつを調べるだけなんだ」
「んん？」
「さあ、どれがいい？」
カイはテーブルの上に書類を広げた。
「こっちは温泉街ソレイユ。これは古都チャーチル。これは港町パステルか、今時分は……」
「何の話です？」
サラの言葉には怒気が含まれている。任務内容を記した書類と共に『美味い定食屋巡り』などという本が広げられているためでもある。
カイは『美味い定食屋巡り』をぱらぱらとめくりつつ、書類をサラに渡す。
「仕事の話だよ。さっき言っただろ、僕達の任務は『噂の真相』を確かめる事だって。さあ、どこに行く？」
ペペロンチーノを飲み下し、ちらりと鋭い視線をカイに向けた後、一枚の書類をカイに差し出した。
「……そういうことなら、これがいいです。近いですから」
近くに川も湖もない土地。
「アルフォーズの丘か。美味い魚料理は食べられないな……」
カイは書類を受け取りながら、独り言のように呟く。サラは刺々しい口調で尋ねる。
「いつ出発します？」
それに気付いたのかカイは恐々と答える。
「え、っと……そうだな、とりあえず明日の昼までには向こうに着きたいから……」
「明日の朝一番、出発ってことですね？」
あぁと、カイは頷き、
「ところで僕の頼んだ『豪華煮魚定食』はまだかな……」
話題を変える。サラはため息を吐きつつ、
「メニューにないものを無理矢理、頼むからです」
ごちそうさまでしたと、近くを通りかかったウエイターを呼ぶ。
「いいんだよ、僕はここの常連なんだから。それより、君は食べ終わったみたいだけどもういいの？」
ウエイターを呼んだということはまだ食べるのか、そんな不安と共に尋ねる。
サラはすでにトマトとバジルのピザ、オニオングラタン、ペペロンチーノをそれぞれ平らげている。今回は新人歓迎会ということなので、上司であるカイがおごることになっていたが、カイはサラの食欲を甘く見すぎていたことに今更ながらに後悔していた。この食堂に来るまでに、菓子パン五個、ポテトスナック一袋、デラックスクレープ、トリプルアイスクリームをサラは食べていたのだから。
カイの杞憂に気付くことなく、サラは微笑みながら、
「そうおっしゃるんでしたら、デザートにスーパーデラックスパフェ」
注文を取るウエイターが驚いた顔で、
「あの、スーパーデラックスパフェは通常のパフェの五人前ほどの量がありますが、よろしいですか？」
尋ねる。それを聞き、カイは慌ててメニューを見る。
『スーパーデラックスパフェ……三十分で食べ終えたら無料。ただし、食べきれない場合は、通常料金四千五百円いただきます』
「まだ、食べられるの？」
財布の膨らみを確認しながら、カイは不安げに問い返す。
「甘いものは別腹ですよ」
と、サラは笑った。
■アルフォーズへ向かう車中の事
アルフォーズの丘へ向かう、小型軍用車の中。
「時間通り来た新人は君が初めてだよ」
ハンドル片手にカイが感嘆の声を上げる。
「出発時間より三十分早く来て正解でした。出発予定時間より早く出発するというのは新人いじめですか？」
サラが問い返す。カイは肩をすくめ、
「いじめじゃないよ。ほら、何ていうの？ 新人君が上司より遅くきちゃねえ……」
薄く笑う。カイは優秀で、部下に対して無理難題を吹っかけることもないと聞く。それなのに、部下は次々変わる。その理由がこれか。
サラはそっと溜息をつく。
「それより、任務のことなんだけど――」
と、カイが口を開く。
「アルフォーズの丘に着いたら、その辺で噂になってる怪しいの人物の調査。以上」
「……あの、もう少し詳しく説明していただけませんか？」
何が『以上』なのか、今回始めてのサラにはわからない。
「いや、十分詳しいよ」
カイは何ら説明を付け加えない。
「そこで、君にしてもらいたいことなんだけど、君はその人物に向かって『スペクス・マールテリ・オン』って、手をかざして言うんだ」
「……？」
「これは古代語だよ。そうしたら、その謎の人物は眠り込むはずだから」
「どうしてですか？」
「『スペクス・マールテリ・オン』っていうのは古代語で、『眠れ』って意味なんだ。古代語には何か不思議な力があるって事は知ってるだろ？」
サラはあいまいに頷く。古代語で願い事を書いた、ペンダントや指輪、ブレスレットなどの装飾品が近年流行っていることは知っている。
カイはサラの戸惑いに気付いたのか、
「とにかく、その人物に手をかざして叫べはいいから」
言葉をかける。
「スペクス・マールテリ・オン……ですね」
一度しか言わなかった古代語を復唱したサラに対し、カイは笑みを浮かべた。
「さすが、成績優秀♪」
■アルフォーズの丘に現われる怪しい人物
日は高く昇っていた。アルフォーズの丘はその切り株だらけの大地を天空に向かい、さらしていた。
「本当にその『怪しい人物』は来るんですか？」
サラは扇状にひろげられた、トランプをカイに差し出しながら尋ねる。
「これも任務だよ。辛抱強く待つのもね……げ、ババ」
「私はあがりです。私が十一連勝ですが――どうします？ まだ賭けババ抜きを続けますか？」
「君に一万一千円の借金か……」
点数表をつけつつカイはうめき声をあげる。サラはカイが負けるたび口にしている提言を繰り返す。
「あの、賭け抜きのゲームをしませんか？」
だが、カイはサラの提案に耳を傾けることなく、
「……しかたない、次は賭けオセロだ」
小型軍用車からオセロ台を用意し始め、動きを止めた。
「誰かいる」
息を潜め、辺りに鋭い視線を走らせる。サラも同じように視線を走らせ、
「あそこ」
何も無い、切り株だらけの丘の上を縫うように歩く、一人の人物を指差す。目深にフードを被り、時代遅れのマントを羽織っている――怪しい人物。
サラは立ち上がり、カイと目で確認しあうと、その人物に向かってゆっくりと歩いていった。
何もない丘である。その人物は近づいてくるサラに、すぐ気づいた様子だったが、歩みを止めることなく、
「私に何か御用ですか？」
若い女性の声。
サラは何か腑に落ちないものを感じたが、女性に向かってさっと手をかざし、
「スペクス・マールテリ・オン！」
叫んだ。
その人物は、地面へと崩れるように倒れた。カイはそれを見届けるように現われた。
「……完全に眠ってるな」
「彼女はここで何をしていたんでしょう？ もう少し様子をうかがってからの方……」
カイはその言葉をまるっきり聞いていないという態度で、倒れた人物の荷物をひっくり返し、一枚の布を取り出した。
「これは……」
声を失った様子のカイ。その布には文字のような複雑な文様と、丸い円や幾何学模様を組み合わせた見事な刺繍が施されている。
カイは何か考え込んでいたが、
「……ここから一番近い街は……」
「ファリスの街です」
「ファリスか、そこなら――これからファリスに向かう」
「彼女は……？」
サラの言葉にも気づかない様子で、カイはじっと何かを考え込んでいた。
■ファリスの街での情報収集
ファリスの街へ着いたのは夕方を過ぎたころだった。結局、あの女性はあの場所へ捨て置かれていた。
二人は宿を取り、カイは普段着へと着替え、サラに宿にいるようにと言い渡し、宿を出た。
軍や警察などの政府機関から入手できる魔女の情報は限られている。魔女の情報を仕入れるには魔女の情報ルートから情報を引き出すに限る。
カイは『森』という看板の掛かった酒場へと足を向ける。
「いらっしゃい」
カウンターの中から声を掛けてきたのは小麦色の肌をした、紫色の髪の女性だった。店内に客の姿はない。
「緑の世界」
その言葉に、女性は疑り深い表情を見せ、
「グラス？」
「樽いっぱい」
カイの答えに女性は驚きの表情を見せ、ひっそりと目立たない扉を指差す。
「……奥よ」
教えられた扉に向かって歩き出すカイに女性は声をかけた。
「あんた、ほんとに『魔女』なの？」
カイは、口の中でぼそぼそと何事か呟きながら、手の中に小さな炎を宿して見せる。女店主は目を大きく見開いた。
「……はじめて見た……」
カイはその言葉を背に聞きながら、扉の奥へと滑り込んだ。そして、袖口からライターを取り出し、
「安っぽいマジックなんだけど」
誰に言うともなく、呟いた。
その部屋の中にあるのは今は使われていない古代語で書かれた書類を束にしたファイル。
『森』と看板の掲げられている飲食店で合言葉を言うと、このファイルのある部屋へと案内される。人間にとっては古代語だが、魔法を使う魔女たちにとっては慣れ親しんだ言語である。
カイは手馴れた様子でファイルを開き、『悪魔』――あの布に走り書きされていた言葉――について調べてゆく。
ファイルのほとんどは魔女狩りをしている軍本部の動きだとか、収容所へと入れられた人々のこと、各地で森を蘇らせようと動いている魔女たちの動きについてなのだが……。
カイの指が止まった。
『……【悪魔】と呼ばれるギルド・フォールは不老不死の魔法をルカ・ネメシスとともに開発した。二人はその魔法により二百年に渡って生き延びたが、何らかの事情によりルカ・ネメシスが死亡した。
互いに魔法を掛け合っていたと思われる不老の魔法が使えなくなったため、ギルド・フォールは新たな不老不死になるための方法が必要になった。そのため、他人の肉体を奪うという方法を考え出したと思われる。
ギルド・フォールを止めるためには以下の魔法を発動させる必要がある……』
描かれていたのは、布に刺繍された魔法陣と同じ物だった。
『……この魔法陣の中心にギルド・フォールを立たせ、「ミチフェル・ソレヴェル・モレ！」即ち、「正しい時間へ戻れ！」と呪文を唱えることによりギルド・フォールの魂は正しい時間へと引き戻され、ギルド・フォールが二度と過ちを繰り返すことはないだろう……』
つまり、殺すしか方法はないということなのか……？
『……悪魔は現在、リア・ワイテットの肉体内にいると思われる……』
七年前に一度見たリアよりは少し老けた写真が添付されている。
そして、半月前の日付の書類には、
『……ギルド・フォールがそろそろ肉体を変える時期である。リア・ワイテットが最後に目撃されたのはサフラン村である。魔法の使えるものはくれぐれも用心するように……』
カイが宿へと戻ったのは夜も深けたころだった。
「大尉、どこに出かけられていたんですか？」
サラの声に、カイは重いため息とともに言った。
「……次の目的地が決まった。明日の朝、出発する」
■サフラン村での最悪の再会
翌朝、サラとカイはサフラン村へとやって来た。それは、どこにでもあるありふれた、小さな村の一つに過ぎない。だが、何か様子が違っていた。
「あの……」
サラはカイにその『何か』を尋ねようとして気づいた。
小さな村、といっても日中である、閑と静まり返っているのはおかしい。人が住んでいるはずなのに話し声どころか、物音がしない。
カイは深刻な顔をして村の中央、だいたい広場があるだろう方向へ向かって歩いてゆく。
「……！」
突然立ち止まり、声を詰まらせる。
「カイ？ ……！」
サラもそれを目にする。
立ち並ぶ十字架。
はりつけにされた人々。
男も女も大人も子供も皆、磔にされている。彼らには外傷はない。中には顔に微笑を浮かべた者もいる。
「これは……」
サラは振り向いてカイを見ると、彼は深刻そうな顔をして、たった一言呟いた。
「悪魔だ」
サラはカイにそれ以上尋ねる事が出来ず、磔にされた村人たちを一人一人見てまわる。
「！」
世界が突然色を失い、遠のいてゆく。
サラは、声にならない悲鳴を上げ、倒れた。
「大丈夫か？」
カイの声でサラは目を覚ます。
低い天井。手作りだろう刺繍の施されたベットカバー。サラはベットに横たわっている。
「……！」
サラが先ほどの光景を思い出し、震え始めると、カイは優しく声をかけた。
「大丈夫だ。僕がみんな埋葬したよ。一人で大変だったけど」
「……」
「大丈夫」
カイはサラを安心させようと、子どもにするようにサラの頭にぽんぽんと手をのせた。
「姉……さん……も？」
サラの声は震えている。
「……ああ、」
「……。あの、ここは……？」
「サフラン村の民家その一。それより、もう少し休んだ方がいい。話は明日だ。調査もまだ完了していないしな」
「はい……」
サラは小さく答え、ベットへ潜り込んだ。眠れないだろうと思ったのだが――。
■母と親友、死にゆく人々
朝霧の中、カイはその広場に立っていた。
……眠れなかった。
その広場にはもう十字架も磔にされた人々もいない。みな、カイが葬ってしまった。
なぜ村人たちを磔にする必要があったのか……。
考えても考えても答えが出てこない。――あの時と同じだ。
母はカイが七歳になった春、病死した。もともと体が丈夫ではなかったのに、無理をして働き体を壊したのだった。母を埋葬する日、ある男がやって来た。その男は母の死を知ると大声をあげて泣いた。
その男はカイに父だと名乗り、カイはその男に引き取られ、【学園】に入れられた。
【学園】で仲が良かったのがジェーンとアレンだった。二人ともカイと気が合う、変わり者だった。ジェーンは学園始まって以来の才女。アレンは金髪碧眼の学園でも有名な美男子だったが、相当の変わり者。ジェーンの魂に惚れたといって、学園内を追いまわしていた。
カイは学園を十七歳で卒業し、軍人になった。一年ほど経った頃だっただろうか、ジェーンが【学園】を卒業し、【研究所】へ入ったと聞いたのは。
ジェーンは【研究所】内でも天才と騒がれ、多方面の分野で次々と才能を発揮していた。
ある時、世界的な科学博覧会でジェーンが講演すると聞き、カイは出かけていった。そこでアレンとジェーンが婚約したことを知った。
ジェーンが講演をはじめてすぐのことだった。突然、一人の男が立ち上がり、
「森と魔女を殺す者は滅びろ！」
と叫び、ジェーンに何かを投げつけた。それは巨大な爆発音をたて、一帯を破壊した。壇上のジェーンと共に。
巻き上げられた煙が徐々に治まったとき、ジェーンが立っていた場所は、跡形も無くなっていた。血だらけで横たわるジェーン。ジェーンの名を呼び、血だらけの彼女を抱きしめるアレン。会場中から阿鼻叫喚の声が聞こえ、カイは足に根でも生えたかのようにその場から動くことが出来なかった。その光景はあまりにも非現実的だった。
カイは、ただその場で二人を見ていた。
壇上で、アレンは血だらけのジェーンをきつく抱きしめ、震えている。
ジェーンはわけがわからないといった顔で、抱きしめるアレンの顔を見上げている。
アレンはジェーンを抱きしめたまま、低い声で、不可思議な響きを持つ歌を歌い始める。あまりのショックに気が動転しているのだろう、カイはそう思った。
誰の目にもジェーンが死にかけているというのは明らかだった。
アレンの歌声に反応するように、ジェーンの身体を薄い輝きが包み込む。
「……魔法？」
カイは誰にともなく呟く。
「いや、まさか――」
魔女など存在しない。おとぎばなしの話。そう、アレンも言っていた。
だが、壇上のジェーンは弱弱しくもアレンに手を伸ばしている。
「――助かったのか？」
＊＊＊
【都市】にあるグランド家の大きな屋敷。
南に面した、書斎。その部屋にいるのはカイと、彼の祖父――ロバート。
「――ということがあったのですが、あれは……」
カイはあの出来事の一部始終をこの家で唯一心を許しているロバートに尋ねた。ロバートは一族を牛耳っているが変わり者だった。親戚たちは、皆、世間体を気にし養子として引き取られてきたカイには冷たかったのだが、ロバートだけとは妙に気が合った。ロバートは複雑な表情を見せ、
「……それは、自然保護団体の過激派の連中だろう。中には魔女を信じ、魔女の力を持って世界の森を蘇らせようと思っている団体もあるからな……。やつらにとって、森を破壊する人間の力、科学、それも科学の先端に立つ若き天才科学者は、敵とみなすべき存在なんだろう……」
カイは奇妙なことを聞いたというような、顔をした。それは、ロバートがおとぎ話で語られる、魔女の存在を確信しているような口調で話したからだった。
ロバートは、一呼吸置き、思い詰めたように話し始めた。
「……実は、お前に伝えなければならないことがある。……お前は、来月から新しい部署に配属されるそうだ。あらゆる権限が与えられ、どの部隊にも所属にならない。…………そこは、なんというか……お前のような性格のものにはとても向いている部署なのだが……」
ロバートがこのように口篭もりながらしゃべることなど珍しい、というよりもカイは今まで一度も見たことがない。
「どういう所なのですか？」
「ほとんど少数精鋭というか、単独行動が主だ……」
ロバートはあきらめたかのように大きくため息を吐き、
「『自然回復プロジェクト』の一環である、通称『魔女狩り』を行う」
「魔女狩り？」
「ああ、魔女はおとぎ話の存在ではない。本当に存在しているのだ。お前も知っているように、『魔女』とは魔法を使えるものの総称だ。『魔女は森とともに生き、森のために死ぬ』と言われているように魔女は森を生み出し、育てることが出来る」
ロバートは憂鬱そうにため息を吐く。
「この国の、世界の状況は把握できているだろう。森は切り崩され、今あるのは切り株ばかりだ。自然に任せていては、半世紀もたたないうちに森は完全に消滅するだろう。そのための魔女狩りだ。魔女を生きたまま捕らえ、森を復興させる……プロジェクトだ」
「……」
「現在の森の状態は、それほど切羽詰っているということだ。森を復興できるのであれば何でもやるんだ」
ロバートは吐き捨てるように言った。
「……僕に、アレンを捕らえろと？」
ロバートはその問いに答えることなく、背を向けた。
カイがジェーンの入院している病院を訪れたのはあの事件から、一週間もたってからだった。ジェーンは奇跡的な回復力を見せ、誰もを驚かせた。
白い病室ではアレンとジェーンが楽しそうに談笑していた。
「どうしたんだ？ カイ」
「…………」
カイは押し黙ったまま、うつむいている。アレンは悲しそうな笑みをもらし、
「ごめん、ジェーン。ちょっとでてくる」
カイの背を押すようにアレンは病室を後にした。病室の扉をそっと閉めると、アレンは低い声でカイに言った。
「魔女狩りか？」
その言葉にカイは目を見開き、アレンを見る。
「知って、いるのか？」
アレンは微笑みながら
「魔女には魔女独自の情報ルートがある」
アレンは大きくため息をつき、
「ジェーンとの結婚式に出られないのが……残念だ」
「……」
カイはますます顔を曇らせる。アレンはそんなカイを励ますかのように言った。
「気にするな、仕方のないことだ」
「だが……、」
あの頃の、学生の頃のままでいられたらどれほどよかっただろう。あの頃のまま、あの頃のまま……。
「カイ、人は年をとるものだ。愛する人が、年をとっても自分は若いままというのは辛いぞ」
「……？」
アレンが何が言いたいのか、カイにはよくわからなかった。
「……お前が自覚すれば、いずれ魔法も解けるさ」
アレンはカイの頭に手を軽く載せ、明るく言った。
「さあ、行こう」
カイはアレンを収容所へと連行し、カイは昇格した。
＋
魔女収容所へと連行されたアレンの下をカイが訪れたのは、ジェーンが退院してから――アレンが収容されて一ヶ月ほど過ぎた日のことだった。
小さな独房に入れられたアレンは一ヶ月前とは比べものにならないほど、やつれていた。
「アレン……」
カイの来訪に気づき、アレンは顔を上げた。
そんなアレンの姿が、カイの心に突き刺さる。なぜアレンを連行してしまったのか、なぜアレンは魔女なのか、どうして友を裏切ったのに、自分は昇格などしたのか……。
「ジェーンは元気か？」
アレンの声は弱弱しい。
「……ああ、君が軍に拘束されたと知って、僕は怒鳴り散らされた」
「ははは……、僕のことを心配してくれているのか」
カイは奇妙な言葉を聞いたとでも言うように
「当たり前だろ、ジェーンはお前の婚約者じゃないか」
「…………不安だったんだ」
アレンはぽつりと言った。アレンらしくない言葉だった。
「【学園】で、ジェーンが探していると側にいつもお前がいた」
「でも、ジェーンはお前と恋人同士だったんだろ？」
カイはわけがわからず言い返す。
「僕が一方的に思いこんでいるだけじゃないかって、不安だった……」
「でも、ジェーンは……」
カイは言葉を詰まらせ、
「お前を、ここから出す」
その言葉に、アレンはゆっくりと顔を上げ、うわ言のように呟いた。
「自分が今、何を言ったのか、わかっているのか？」
「お前を逃がす。これ以上…………僕だって辛いんだ」
アレンはカイから目をそらし、空笑いを漏らした。
「お前の経歴に傷がつく、それに、」
アレンが言葉を続けようとするのを遮り、カイは言った。
「ジェーンが、自殺しかけた。今回で三度目だ」
アレンは絶句し、さっきの言葉を続けようとはしなかった。
カイはアレンを収容所から逃がした。アレンはまっすぐ、ジェーンのもとに向かったはずだった。――けれど、そのまま行方不明となり……。
それから一年半くらい経った頃だっただろうか、カイがサラの村へと訪れたのは。
■今、やるべきことは……
「大尉、」
その声にカイは我に返る。太陽は既に高く昇り、閑とした村を物寂しく照らし出している。
「サラ、もう大丈夫か？」
青ざめた顔でサラが広場に足を踏み入れる。
「はい」
肯定はしているが、顔色は優れない。怯えたような視線を、盛り上がった土の山に向ける。
「……調査の方はどうなりましたか？」
精神的に辛いのだろう。悲しみに向かいあうよりも、軍人としての日常に戻ろうとする。
「引き続き、というよりもこれから本格的に……というところだね」
カイはサラに気遣いの言葉をかけることなく、広場から出る。
サラは気を使われることを嫌う。弱い自分を人にみられること、人から心配されることは彼女のプライドが許さないらしい。ここで優しい言葉などかけようものなら、サラは自分のもとからきっと去っていってしまう。だから、あえて何も触れない。
「まずは、」
後方を歩調を合わせついてくるサラに向かって声を掛ける。カイはきょろきょろと村の家々に視線を走らせる。
「この村の詳細を知る必要がある。空家から資料になりそうな手紙、日記、写真なんかをそこの家に運んでくれ」
といって、指差したのは昨日サラが休んでいた家。
「空き巣……ですか？」
サラの言葉が背中から聞こえる。きっと、眉間に皺を寄せ、むっとした顔をしているのだろう。
「それも任務の内だよ」
カイは振り向きもせず答え、先ほど指差した家へと向かった。
三時間後。
「……思ったより多いな、資料」
テーブルの上から落ちかけた資料を支えつつ、カイが大きくため息をついた。
「そうですか？ 大雑把にしか探していないので、」
サラの言葉を遮るように、カイ声をあげる。
「ご苦労さん、もういいよ」
「……何を調べるんですか？」
「あの中にいなかった住民は誰かってこと」
「じゃあ、私のでる幕はないということですね」
サラは哀しげな笑みを浮かべる。
「いいや、君は食事を作るんだ。もちろん、魚料理だよ」
資料から顔をあげることなくカイが言うと、サラは暗い声で尋ね返した。
「……この村に残るんですか？」
「これを車に積みなおして、宿屋に運び込みたいんだったら別だけど……かなりの肉体労働だと思うよ」
それをやるのはサラだ、と言っているようなものだった。サラはため息をつきつつ、
「わかりました」
と答え、食事を作るために台所へと向かった。
カイは書類の山を睨み、
「……まったく、優秀なことで」
呆れたように呟いた。普通の新人であれば、これの半分くらいの量を集められれば合格だというのに。
■リアの変わりに姿を消した村人
それから三日後。
「これだな」
カイが散乱した書類束の中から取り出したのは、一人の少年の写真。
「総合的に判断して、この少年だろう。この村から消えたのは」
一枚の家族写真――黒のマーカーで少年の顔に丸がつけられている――をサラに投げ渡す。
「悪魔が乗っ取る肉体の持ち主は十歳から四十歳くらいまでなんですよね。その中で、大尉が葬った方々を除くと、残るのは、二十歳過ぎの女性と、三十才くらいの男性。そして、この少年の三人だけ。どうやって、この少年に絞ったんですか？」
「その女性と男性の間で交わされた重要機密文書がこれだ」
言って、カイは一通の、どう見てもラブレターとしか思われない手紙をサラに投げてよこした。
「見て分かるとおり、駆け落ちしたらしい。そうなると、この少年しか該当者はいない」
サラはラブレターを一瞥し、
「……わかりました。では、いったん【都市】へと戻りましょうか。本部に報告もありますし」
事務的に言って、席を立ち上がる。サラはこの散乱した書類を片付けようという気持ちは湧かないらしい。
「じゃあ、先に車で待ってて」
「大尉は……？」
「トイレだよ、トイレ」
「では、お先に」
必要な書類だけを胸に抱き、その足の踏み場のない民家を出てゆくサラ。カイは大きくため息をつき、去ってゆくサラの背中に囁きかける。
「君には『魔女』の存在を知って欲しくないんだよ……。知ればきっと、君は僕を軽蔑し、嫌いになるから」
魔女の血を引いているからといって、皆が皆、魔女になるわけではない。魔女の血が流れていなくても魔女になる者もいる。
だが、魔女の血を引いているものの方が魔女になりやすいというのも事実だ。本当ならば、サラを収容所へと連れて行かなければならないのだが……。
■どこへ姿を消したのか
二人はアルフォーズから【都市】へと帰る途中、宿をとった。カイはまたサラを宿に残し、どこかへと出かけていき、戻ってきたのは夕食時だった。
「サラ、もう食事は済んだ？」
「一時間ほど前に。ですが、まだ食べられます」
「……そう、じゃあ、下にいこう。今後の話もしたいしね」
宿屋の一階部分は、昼間は食堂、夜は酒場へと化すようだった。
席につき、二人はそれぞれ注文する。
食事が運ばれてくるまで、二人は世間話に興じた。サラはカイにどこに出かけ、何をしていたのか尋ねたが、ごまかされた。
しばらくして。運ばれてきたシーフードスパゲティーをフォークに絡ませながら、サラはカイに尋ねた。
「どうやって、少年を探し出すんです？」
「全国の警察に行方不明者として手配をかける、」
サラは大きく目を見開く。口の中のシーフードスパゲティーが邪魔をし、声を出すことが出来ない
「なんてことしてたら、何年経っても見つけ出せないよ。子供は成長するから外見変わるし」
カイは焼き魚定食の魚の身をほぐし終わり、やっと食べ始めた。サラはようやくシーフードスパゲティを飲み下すと、尋ねる。
「……では、どうするんですか？」
「企業秘密」
一言で話を打ち切られる。
サラがむっとした瞳でカイを睨みつけていると、
「君には別の任務がある」
カイが切り出した。
「この任務は？」
別の任務に移るということは、この任務を途中で放棄する格好になってしまう。初めての任務を突然はずされることに、サラは戸惑う。
「あとは僕がやる。明日の昼出発って事で」
カイはほとんど片付いたからと、笑みを浮かべている。
「……そんな……」
サラが声をあげかけると、カイは拗ねたように、
「君が疲れてると思っていってあげてるのに」
幼い子供のように唇を突き出す。
いい年をしたおっさんがなにやってんだか……。
「自分が朝起きられないからの間違いではないですか？」
嫌みったらしくカイに言い捨て、サラは席を立った。
「では、ご馳走様でした」
「ちょっと、」
カイが声を掛けるが、サラは完全に無視し、部屋へと戻っていった。
「割り勘……」
カイの声は虚しく店内に響いた。
■不死を手に入れし者
【都市】の外れにある、朽ちかけた廃屋。開いた扉によって、舞い上がる埃。逆光によって姿は見えないが、小さな人影が滑り込むようにその廃屋に入り込んだ。壁の隙間から漏れる光によって、内部の様子はうっすらとだが、見渡せる。
「……やはり、来ていたか」
少年は、少し笑みを見せながら、部屋の奥の人物――カイに声をかける。
「ここは、君が肉体を変えるたびに立ち寄る所だと聞いて、待ってたんだ」
カイの言葉に少年は小さくため息をつく。
「どうしてもここに来たくなってしまう。肉体は変わっても、私は私だと納得するために……」
「思い出の場所……か？ ルカ・メネシスが死んだ……」
カイの言葉に少年は驚きの表情を見せ、
「……ルカを知っているのか？」
カイは曖昧に頷く。
「まあ……ね。僕の母はルチア・ネメシスという名前だった」
少年は息をのんだ。そして、しばらくの沈黙の後、ようやく口を開いた。
「……そうか、君はルカの子孫か。ルカが不死であることを拒絶したのは、血を残すことを選んだためか……」
「知り合いが死に絶えてしまっても、生き続けるのは寂しいだろうからね。それならいっそ、愛する人と子をなし、共に死ぬほうがいい」
少年はその言葉に、動揺の色を見せたが、
「……そうか、そうだな……」
そう言った声は静かに落ち着いていた。
「君は私を殺そうというんだな」
少年らしからぬ低い、笑い声をあげる。
「一つ聞きたいことがある」
カイは少年に尋ねる。
「なぜ村人を磔にした？」
少年は口元ににやりと笑みを浮かべる。
「あぁ、あれは『催眠』だよ。村人達は自ら磔台を作り、自らを磔台に縛り付けた。まあ、手の届かない所は私も手伝ったがね。そして、仕上げに私は彼らに『眠り』を与えた。みな死ぬまで夢の中だ」
穏やかな笑みを浮かべる。
「私は肉体を変えるたびに、その肉体の持つ魔法力がどれほどの威力を持つか試してきた。だが……」
少年は寂しげに言葉を切る。
「もう、飽きた」
少年の姿をした悪魔は、ゆっくりと歩き始める。
「生きることにも。新たな肉体が持つ魔法力の威力を試すことにも」
淡々と語る。
「けれど、死がちかづいてくると私は恐ろしくなるんだ。どうしても、死にたくなくなる。私は『死』から逃れたい。だからだ、私の変わりに多くの『死』を天に与えるんだ」
そうすることで、自分の『死』をあやふやにしようとしているのだろう。
少年がちょうど部屋の真中へとさしかった時、カイは無表情に、
「ミチフェル・ソレヴェル・モレ！」
叫んだ。
その言葉に答えるように床に描かれた魔法陣――布にかかれていた魔方陣と同じもの――から、魔法独特の光が溢れ出し、その光の洪水は少年を包みこんでゆく。
――蘇る古い記憶。
あの時、私が気づいた時にはもう、生気の抜けた顔で、ルカは倒れていた。不死の魔法を新たにかけなければならない時期を大幅に過ぎていたためだ。
「お願いです……」
ルカの声には死にゆくものの持つ、独特の響きがあった。
「ルカ、大丈夫だよ。私が助けてあげるから」
私はルカをベットに横たわらせながら、声をかける。
「いいえ……私は死ななくてはなりません……それが自然の摂理、当たり前のこと……だから……」
ルカは顔に不思議な笑みを浮かべる。
「お願いです……」
ルカは死を望んでいた。私には理解することなど出来なかった。けれど、私は動くことが出来なかった。一刻を有すというのに、私は懇願するルカの顔をじっと見つめていた。
「お願い……です……」
ルカはゆっくりと目を閉じた。途端、ルカにかけていた不死の魔法は解け、その肉体は本来の時間を一瞬で取り戻し、肉は硬くなり、細かく砕け、灰のように手のひらをすり抜け、崩れ落ちていった。
ルカは、私とともに歩んだ長い長い年月を振り切り、不死であることを拒絶した。その代わりルカが望んだのは……死だった。
少年は、不思議な微笑を浮かべている。そして、虚空に手を伸ばし、誰かの姿を捕らえようとする。
「……ル、カ」
少年の姿をした悪魔は、苦しげにうめき、崩れ落ちる。
「…………」
少年はゆっくりと瞳を閉じた。その頬に一筋、涙が流れていた。
■幸福な結末は、果たして存在するのか？
「大尉、私の任務とはなんだったんですか？」
夕食時、カイの馴染みである酒場で、サラはナポリタンスパゲティーを食べながら、尋ねた。カイは白身魚のフライ定食の魚から、器用に骨を抜き取りながら答える。
「僕からのプレゼントだよ。君が良く働いてくれるから、休暇をプレゼントしたんだよ」
サラは口の中のナポリタンスパゲティーを噛み砕いてから、問い直す。
「……任務途中に休暇ですか？」
「いいじゃないか。どう？ ゆっくり休めた？」
笑顔で聞き返す。サラはじっと押し黙り、
「軍本部で一日中、日向ぼっこしてました。そんなことより、任務はどうなったんです？」
「ああ、あれは、もう終了した」
「少年は見つけ出せたんですか？」
「全部終り、経過報告書も提出しておいたから」
カイはごそごそと鞄の中を漁り、
「次は……どれにする？」
夕食のテーブルの上サラにも見覚えある書類が広げられる。
「…………」
サラは口に運びかけたナポリタンスパゲティーを手の内に留め、大きくため息をついた。
END
『魔女』をご覧いただきありがとうございました。
■01/4/30 「森」で書ききれなかった辺りの事件を書かねば……と言うことで、書いた「森」の続編。 サラの事件を書くはずが……ギルド・フォールなんていう人物までも登場し、新たな謎も……。「森」のシリーズ化をうすうす感じ始めた作品です。
■2004/04/27 改稿
©2001-2009 空色惑星