01:ジャック・オ・ランタンの憂鬱

 煮たり、焼いたり、炒めたり、はたまた揚げたり。思いつく限りの調理法を試してみた。
 ここ一週間、我が家の食卓には毎日、数品のカボチャ料理が溢れているし、冷蔵庫にはタッパー詰め、冷凍庫にも使いやすいサイズにカット済みのカボチャがひしめき合っている。
 お隣さん、ご近所さん、友人知人の類にはもれなくカボチャ料理をプレゼントしている。これ以上、私にどうしろと言うのだ。
 そんなことを思いながら、目の前のボウルに入ったカボチャを凝視する。
「またお前か」
 言いたくなる心境を察して欲しい。今日のカボチャは比較的よくできている。彫刻刀で彫られた目のつりあがり方は左右非対称ながらも、味があるし、口にも三本の歯。頬というか、首元辺りには茨っぽい細工。少々粗削りなものの、これなら充分インスタ映えってやつができてるんじゃなかろうか。
 流水ですすぎ、まな板の上でギシギシと切り刻んでいく。今日は何作ろう。この彫刻を生かすとしたら、カボチャの煮物か?
 
 私がこのカボチャ地獄に陥っているのは簡単な理由だ。
 義母が数日おきに、数個ずつ「カボチャ、食べてね」と持ってくるのである。なんでも、思いもせず大量にカボチャがとれたんだとか。
 そして、配れるところに無料配布しているらしい。お義姉さんとこにこんなに大量のカボチャを持って行ってるとは思えないけど。
 一回目にもらった時は「ありがとうございます」と、カボチャの美味しい食べ方を議題に長々話し込んだ。
 二回目は「わざわざすいません。でも前にもらったのがまだあったんですよ」と世間話した。
 三回目は疲れた。
 夫と喧嘩した。
 すると、料理もできない夫が言い出したのが、インスタ栄えするカボチャの細工を作るから料理しなくてもいい、という世迷言だ。
 ああ、夫は馬鹿だ。そもそもジャック・オ・ランタンは日本で一般流通している緑のカボチャでは作らない。
 夫の手でジャック・オ・ランタンに生まれ変わったカボチャは数枚の写真を撮られると、ボウルに入れられ、結局台所にやってくる。上にはふんわり新聞紙をかけられて。
 これを捨てろと言いたいのか、もったいないから調理しろと言いたいのか。夫の真意は曖昧なまま、私は毎日ジャック・オ・ランタンであったものに包丁をいれる。
 ああ、ハロウィーンって何でカボチャのお祭りなのかしらね。

ご覧いただきありがとうございました。〔2020/05/25〕

お題配布元:エソラゴト。さま →ハロウィンで10題

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