魔女の鍵

 私の名はウォルフガング・クルツリンガー。十一の歳で家を飛び出し早十七年。今では国外からも名を知られる騎士にまで上り詰めた。無論、王の信望も厚い。そんな私が北の山のふもとにある辺境の町にやってきたのには、それなりのわけがある。

 現国王は聡明な王として知られている。唯一、問題があるとすれば后の数が多いということ。王妃が十四人に、愛妾が三七人。それでも先代、先々代の王に比べれば数が少ない。
 今年で二一歳になる第一王位継承者、エアハルト王子も多分に漏れず、成人して数年になるがいまだ王妃はおらず、そのかわり愛妾は九人。彼女らはいずれも王子に求婚を受けたものなのだが、数ヶ月もすればお払い箱になる有様。
 王子は賢明であり、お優しい方であり、誰からも好かれるお方なのだが七人目の愛妾となったエルザという占い師は理解できなかった。体中に施された刺青、無数のピアス。不気味なアクセサリーに引きずるような衣装。
 東洋的な神秘さだといえば聞こえがいいが、はっきりいって不気味だった。美しくないとはいえないが、得体の知れない薄気味の悪さが常にあった。

 ある日、そのエルザが、
「これは呪いですわ」
 などと不気味な笑みとともに呟いた。『これ』というのがそのとき話題に上っていた王妃、愛妾の数の多さにあることはすぐにわかったのだが、呪いという言葉は理解できなかった。
「いったい何の呪いだというんです?」
 突然会話に割り込まれたとは言え、王子の愛妾、邪険にするわけにもいかない。
「古の魔女と呼ばれるニナ・ルッツ様をご存知?」
「知らぬものなどおりませんよ」
 私と話をしていた財務大臣のフランツ殿が答える。女達の数の多さに一番頭を悩ませている方だ。
 魔女のことに疎い私でもニナ・ルッツの名を幾度と無く耳にしたことがある。
 五百年ほど前、この国を作った時に力を貸したという史記から始まり、ありとあらゆるこの国の重要な局面には必ず登場している名前だ。百年ほど前を境にその名は歴史から消えているが。
「尊敬すべき素晴らしい方ですわ」
 うっとりと遠くを見やる。この女はいつもどこか遠くで漂ってでもいるかのような雰囲気がある。
「彼女がいまだご健在なのをご存知?」
「……いや、」
 フランツ殿が私を見るので、私も同じ言葉を口にする。
「以前と同じく、北の山の裾野のお屋敷で暮らしていらっしゃるそうですわ」
 この城に入って二年にもなるが、ほとんど誰とも話をしていない上、手紙などのやり取りも見たことが無いのに、ついこの間聞き知ったかのような口調。
「へぇ、面白い」
 この時点で聞きたくない声だった。
「これはエアハルト王子、ご機嫌麗しゅう」
 フランツ大臣と同じくうやうやしく頭を下げる。
「いにしえの魔女が健在ならば会ってみたい」
 易々という。そして、そんな役目を仰せつかるのは決まって、
「連れてきてくれるか? ウォルフ」
 上役に言われて断ることなど出来ないことをこの人はわかっているのだろうか。ちらりとフランツ殿を見やると『気の毒に……』なんて目をしてはくれたものの、
「それは名案ですな」
 エアハルト王子に調子を合わせている。
 私も嫌々ながらも同じく調子を合わせ、
「必ずや連れてまいります」
 出立したのはそれから二日後だった。

 一週間も馬を走らせて、やっと北の町の外れまで来た。
 町外れにある小間物屋の店先に良い土産の品を見つけ、買い求めるついでに、
「ニナ・ルッツ殿の屋敷はこちらの道で間違いないか?」
 小間物屋で店番をしていた二十歳くらいの娘に道を尋ねる。この国では珍しい黒髪に、小麦色のワンピースを着た娘だ。
 娘はまじまじと私の顔をみて、
「ニナ・ルッツっていにしえの魔女のこと?」
「そうだ」
「まぁ、何の御用なの? 王宮の騎士様が」
「……会いたいと言われているお方がいて……な」
 仕事とはいえこんなところまで来たくは無かった。
 娘のほうもそれ以上深入りしようとはせず、大変ねぇといった様子の笑みとともに、
「まぁ、道は間違いないといえば間違いないけれど……」
 はっきりしない返事。
「何かあるのか?」
「朽ち果ててなければお屋敷、まだ残ってると思うわ」
 にこりと微笑む。
「交流が無いのか?」
「まったくね。生きてるのか死んでるのかさえ誰も知らないわ」
 魔女とはいえあまりにも哀れだと思いつつも、ちらりとエルザのことが頭をかすめ、
「そんなものだろうな。とりあえず行ってみるよ」
「まぁ物好きね。気をつけてね、何が出るかわからないし」
「魔物がいるというのか?」
 魔物など今はほとんどいない。年に二度、伝統的に行われている討伐隊は野犬の始末が専門になっている有様。
「さぁ」
 彼女は邪気の無い笑みをみせ、
「誰も近づかないから」
 魔女の屋敷以外何も無いのよ、と笑う。
 どっと疲れが沸きあがるのを感じたが、私は馬にまたがり、
「……有難う」
 別れを告げ、出立する。

 半時ほどゆるゆる駆けて、屋敷らしきものへとたどり着いた。『らしきもの』というのも、少女の言っていた朽ちているという言葉でしか表現のしようが無いほどの荒れ果てよう。これではとても人が住めるものではないし、打ち捨てられて数十年の月日が経過しているのは誰が見ても明らかだった。
 街へ取って返して宿を取ろうかとも思ったのだが、このまま帰ったのでは何を言われるかわからない。とりあえずはここに一泊することにし、大木の木陰に簡単なテントを張り、薪木を集め火をたく。
 野犬が少なくなったとはいえ辺境。一応の準備をしておいたほうがいい。

 夜も更け始めた頃、
「騎士殿、」
 若い女の声なのだが、妙に不明瞭な響きがある。
「なんだ?」
「騎士殿、我が館にどのような御用か?」
 騎士が怖がってなどいられない。
「ニナ・ルッツ殿か?」
「私が問うておる」
 彼女の言葉には感情がない。それが気味の悪さを増徴させている。
「失礼した。私はウォルフガング・クルツリンガー。第一王子エアハルト様があなたにお会いしたいと申されている。私は使いで参った」
「そうか。ウォルフガング殿、屋敷へ入られよ。そのようなところで野宿をされては邪魔になる」
 周囲を見回すが誰の姿も無い。
「あなたはどこにいらっしゃるのです?」
「屋敷の中だ」
 屋敷――扉は堅く閉ざされているものの、二階の一部は崩れてしてしまっている。近づくのさえ危険な様相をしている。
「心配せずとも良い。あなたを屋敷に招こう」
 重い扉が音も無く両開きになる。
 心臓が飛び出そうではあったが、ごくりとつばを飲み込み、ようよう立ち上がると屋敷へ向かって歩を進めた。

 一歩、足を踏み入れると内部はずいぶん様相が違った。何も古びてなどいないし、崩れたところなども無い。田舎の別邸といった装いの、住み心地のよさそうな内装だった。
「魔法……なのか?」
「そうだ」
 すぐ近くで声がした。先ほどよりも明瞭で、どこかで聞いたことのある――
「こんばんわ、騎士様」
 弾んだ明るい声。
「……小間物屋の――」
 店番をしていた娘だ。数時間前と異なり、黒の喪服のような服を着ている。魔道士服だと気づいたのはしばらくしてからだった。
「なぜここに?」
「ここが家だから」
「……家?」
 私は物事に動じないタイプの人間だが、これほど大掛かりな魔法を見るのは初めてだったから混乱していた。
「――家?」
「そう、家」
 娘は繰り返し、
「玄関から入らなければ、きちんと家の中には入れないよう魔法が掛けてあるの。一時期、腕試しが流行ったことがあって命知らずの馬鹿が山のように押し寄せてきたのよ。その対策としてこんなことしてるのよ」
 玄関は私しか開けられないけれど、と娘は付け加える。
「魔法なのか」
 私がそれまでに見たことのある魔法はもっと規模が小さいものばかりだったから、私の反応は大げさすぎることは無い。
 感心して屋敷内を見回していたのだが、役目を思い出し、
「ニナ・ルッツ殿はいらっしゃるか?」
「もう死んでるわよ、あなたの探してるニナ・ルッツならば」
「いつのことになる?」
「私が生まれる前」
 がっくりと肩を落とす。エルザが言っていたことは、嘘だったのだ。なんのために私はこんな辺境まで来たのだろう。
「あら、がっかりしなくてもいいわよ。私もニナ・ルッツだから」
「……どういうことだ?」
「ニナ・ルッツっていうのはね、称号のようなものなの。歴史上に何度、何百年に渡ってニナ・ルッツが現れたと思う? 不老不死でも無ければ無理でしょう?」
 言われてみればなるほど。ニナ・ルッツは不老不死の老婆のイメージがあるが、残されている絵画や彫像は若い娘だった。年代によってニナ・ルッツの顔が違っているのはそのためだったようだ。
「なるほど」
「ま、それだけじゃないんだけれど……」
 含みのある笑みを漏らす。
「さ、夕食にしましょうか。屋敷の前にテントなんて張られたら、屋敷に入れないわけにも行かないでしょ?」
「見ていたのか?」
「見たくなくても見えるのよ、あの位置だと」
 案内された食堂からは私の張ったテントが目の前に見えた。
「いつから見ていたんだ?」
 照れ隠しもあって尋ねる。
「私が帰ってきたのはついさっきだから、そんなに長いことじゃないわ」
 夕食がテーブルから湧き上がるように出現する。これも魔法らしい。いちいち驚いていては馬鹿みたいだから、なるべく平常心でいるよう努める。
「ずいぶん豪華だな」
「魔法は何でも可能よ。食べたいものがあったら、コックたちに言いつけてね」
 台所から鍋やフライパンが空中を踊るように現れる。
「……なんだ?」
「有名料理店なんかで使われた子たちよ。使われなくなったのを貰い受けてるの。料理の作り方はこの子達がよぉく覚えてるから、いつでも美味しいものが食べられるわ」
 ただし、とメニューを差し出される。私も時々訪れる名店のものだった。
「決まった料理しか出来ないけれど」
 差し出されたメニューから好物を数点あげる。
 出来たものから目の前のテーブルに湧き上がるように出てくる。
「ほぅ、これは便利だな」
「この魔法の開発に三十年近くも掛かったけどね。さ、召し上がれ」
 私は料理に手をつける。さすがにどれもおいしい。私の食べっぷりに呆れたのか、彼女は楽しそうに笑う。
「何がおかしい?」
「おいしそうに食べるなぁって思って」
「そうか? 私より君のほうが若いのだからもっと食べたらどうなんだ?」
「そんなに食べられないわよ。私もう二二歳よ? 成長期は終わってるの」
 言って彼女はぱちくりと目を瞬いた。
「そういえば私、名乗ってなかったわね」
 ニナ・ルッツが称号であるのならば、彼女の名前を聞いていない。それなのに一緒に夕食をしているのだからおかしな話だ。
「何がおかしいの?」
「いや何でもない。改めて挨拶をしよう。私はウォルフガング・クルツリンガーだ」
「ウォルフって呼んでもいいのかしら?」
 私はうなづく。親しい人にはそう呼ばれている。
「私はニナ・ルッツのカテリナ・ローゼンバーグ」
「カテリナと呼べばいいのか?」
「ニナ・ルッツでもかまわないわよ」
 笑い顔は爛漫で、エルザのようないかにも魔女というイメージからは程遠い。
「それで、エアハルト王子にお会いしていただけるか?」
「うーん」
 彼女は首をひねり、
「バイト、明日が休みだから明日中だったらいいわよ」
「明日中? 王都まで、どんなに馬を飛ばしても四日は掛かる」
「私、バイトを休みたくないの」
 バイトというのは小間物屋の店番のことなのだろうが、
「なぜ小間物屋などでバイトをしているんだ? 君ほどの腕があれば仕事はいくらでもあるだろうに」
「一日中魔法の研究して、魔術師達と魔法論を語り合うなんて私の性には合わないのよ」
 言い置くと黙々と食べ始める。
 私は言葉を掛けるのをやめ、同じように食べた。

「さて、お腹も良くなったことだし、ちょっと待っててね。支度するから」
「支度?」
 私は食後の珈琲を飲みながら問い返す。
「この格好じゃあ謁見もままならないでしょ? もうちょっと魔女っぽい格好するから……」
 食堂から姿を消し、すぐに戻ってくる。
 エルザ顔負けの刺青と、ピアス。ジャラジャラした悪趣味なアクセサリーに、引きずるような黒の服。いかにも魔女然とした格好。
「さて、参ろうかウォルフ殿」
 最初に聞いた魔女の声だ。無機質な女の声。
「まるで別人だな」
「この格好で、いつも通りのしゃべり方したんじゃおかしいでしょ?」
 明るい声は確かに変だった。
「ウォルフ殿、そちらの魔方陣の上に立たれよ」
 長い裾から、真っ黒なマニキュアの塗られた長い爪がのぞく。
 指差されたそこにはデザインのような魔方陣。それが飾りではないというように、うっすらと光を発している。
「何かあるのか?」
 言いつつも珈琲を飲み干し、指定された場所へ立つ。
「王都へ移動する」
 言葉とともに、魔方陣の光が増した。一瞬のことだった。

「ここは?」
 尋ねたのも無理は無い。先ほどの気持ちのいい空間とは違い、いきなり物置小屋に変わっていたのだから。
「もう、おばちゃんたらっ」
 黒ずくめのカテリナは荷物に足をとられ、ジタバタともがいている。裾の長い服なうえ、アクセサリーがあちこちに引っかかっているらしい。
 私は手をさしのべ彼女が立ち上がるのを助け、
「ここはどこだ?」
 もう一度尋ねる。魔法にいちいち驚いてなどいられない。
「王都にあるニナ・ルッツの別邸」
 カテリナは短く答え、ケホコホと舞い上がる埃に咳き込む。ずいぶん長い間使われていないことは明白。
「いとこのおばちゃんが管理してくれてるはずなんだけど……まったく」
 盛大なくしゃみを一つして、何か呪文を唱えると、真っ暗な空間が明るくなった。白く光る玉がふわふわ頭上にいくつか漂っている。
 見なければ良かったと後悔するほどの乱雑に積み上げられた荷物。
「えぇっと扉がこっちにあったはずなんだけれど、」
 カテリナの言葉に、私は彼女が通りやすいよう道を作る。十数分かかってようやく扉にたどり着き、物置小屋から出ることが出来た。
「まったく、嫌になるわね」
 カテリナはパタパタと服についた埃を払いながら、辺りを見る。
「ちょっと、何よ、これ」
 カテリナが驚くのも無理は無い。物置は二階にあったらしく、見通せる階下は酒場だった。それも下町の、あまり柄の良くなさそうな奴らが集っているタイプの。
 カウンターの中で酒をついでいた女将が顔を上げ、
「おや、ニナ・ルッツ!?」
「おばちゃん!?」
 二人は大きな声を上げた。

 女将に通された部屋で、
「王子に会うため参じた」
 ニナ・ルッツはまず、そう言い置いた。一瞬前までのカテリナと同一人物とは思えない雰囲気。
 女将は深々とため息をはき、
「ニナ・ルッツ、あんたとこうして対峙たいじするのは三十年ぶりかい? あんたは変わりゃしないね」
 運んできたグラスを置きつつ、ニナ・ルッツの目の前に座る。女将は五十過ぎ、二二歳だと答えたカテリナと三十年ぶりの再会などありえるわけが無い。
「そんなになるか」
 ニナ・ルッツは答え、不気味な笑い声をあげる。魔女っぽく振舞っているのだろうが、カテリナと同一人物だとは思えない。
「王子はなんであんたに会いたいなんて気を起こしたんだい?」
 今度尋ねたのは私にだった。
「エルザ様が――」
「あぁ、王子さんの七人目の愛妾になったあの胡散臭い占い師か」
 コホン、と咳をして女将の言葉を遮る。いくら胡散臭くても、気味が悪くても、一応王子の愛妾。悪口を聞くわけにはいかない。
「エルザ様が、王や王子の女好き――いや、奥方が多いのは呪いだと。それを解決できるのはニナ・ルッツ殿しかいないと申されたのだ」
「へぇ」
 女将は煙草に火をつけながら、
「あの女にしてはなかなか目の付け所がいいね」
 不敵に笑う笑顔には妙な迫力がある。
「ニナ・ルッツ、あんた何か覚えてるかい?」
「わからない。百年ほど前までの王には后は一人だったはずだが……その後の記憶がない」
「ってことは、あんた、何か知ってるって事だね?」
 疲れた、といった態度で煙を長々と吐き出す。
「そのようだ。思い出すには鍵が必要だ」
「鍵とは何だ?」
 私は尋ねる。
「ニナ・ルッツってのは、記憶を代々受け継いでる娘の総称なんだよ。だけど知られたたくない記憶とか、覚えていたくない記憶ってものもあるだろ? そんなものは本人が記憶を受け渡す際に封じちまうのさ」
「鍵が何であるかはわからない。言葉か、行動か、場所か……。どんなものであるのかはわからないが、それが揃えば記憶は自然、蘇る」
「ほぉ――」
 他人の記憶を持つ娘。だから妙な落ち着きようがあり、この歳でレベルの高い魔法が使えるのだろう。
「では、その鍵を探さなければいけないのか?」
「そうだ」
 と、言われたところでどこを探せばいいのだろうか。形の無いものを探すとなると。
「考えてたって始まらないよ。今日はもう遅いから泊まっていきな」
 案内するよ、と女将が席を立つ。
「私の部屋は――」
「数年前に改築するって手紙出しただろ? 読んでないのかい?」
 ニナ・ルッツが固まっている。
「ここを改築して酒場と宿屋を兼ねた商売を始めるって……この私がわざわざ手紙を出したってのに」
 女将は大きくため息をつく。
「――すまない」
 謝ってはいるが、まったく感情がこもっていない。
「まぁ、別にいいけどね」

 案内されたのは街道に面した部屋だった。窓から外を見ると、見覚えがある。自分の家から歩いて十分ほどの場所のようだ。
「隣がニナ・ルッツの部屋だから」
 女将がシーツを整えながら言う。
「私は家に戻ってもいいが……」
「何言ってんだい、ニナ・ルッツを一人きりで置いていくって?」
「いや、女将が――」
「あたしゃあの娘につきっきりってわけにはいかないんだよ。あの娘は記憶はもっちゃいるがここに来るのも、あたしに会うのも始めてなんだよ? 頼れるのはあんただけさ」
 口答え無用とばかり、部屋を出てゆく。
 私も今日会ったばかりだ、と言う暇は与えられなかった。仕方なく休むことにする。明日はもっと酷い日になりそうな予感がした。

***

「……うぎゃー!!」
 朝っぱらから妙な叫び声をあげてしまった。穴があったら入りたいと思いつつも、自分にこんな声が出せたんだと感心する。
「起きた?」
 目の前にはカテリナが、ニナ・ルッツの格好をしてたたずんでいた。刺青、ピアスに奇妙なアクセサリー。黒ずくめの引きずるような衣装。昨日とはまた少し格好が違っていたが、夜の暗闇でも見たくはないし、起きざまにも見たくない格好であるところは相変わらず。
 何らかの殺気でも発してくれていればそれなりの覚悟をして目を開けることが出来るのだが、穏やかな人の気配でこの格好は……心臓にきつい。
「朝からなんだ? いや、それよりもどうやってこの部屋に入った? 鍵を掛けたはずだが……そういえば君は魔女だったな」
「低血圧じゃないのね、目覚めてすぐにそれだけしゃべるところをみると」
「カテリナ、頼むから元の姿に戻ってくれ」
 頼むと、彼女は一瞬で普通の娘の格好に戻る。
「ウォルフはこっちのほうがいいの?」
「あぁ」
 ニナ・ルッツは心臓にも悪ければ、精神衛生上も良くない。
「王子様がニナ・ルッツをお召しだからずっとこの格好をしてなきゃいけないかと思ってたの」
 いたずらっぽく目を細めて笑う。先ほどの私の失態を思い出しているんだろう。
「先ほどのことは頼むから忘れてくれ。王子に会うときはニナ・ルッツの格好のほうがいいだろうが、私といるときは普通でいい」
「……わかったわ。朝食にしましょ」
 部屋を出てゆく。
 私は急いで身支度を整え部屋を出る。
「きゃっ」
 なぜか扉を開けてすぐのところにカテリナはたたずんでいた。つい先ほどの草色のワンピースから、空色のワンピースに衣装換えして。
「すまない」
「……私こそごめんなさい。あなたが出てくるの遅いから、声かけようかどうしようか考え込んでたの。そうよね、あなた騎士様なんだから、身支度って簡単にはすまないわよね」
 言われて自分の格好を見る。旅用の略式な騎士服ではあるが、確かに普通の服とは違って多少時間が掛かる。だが、
「この格好では登城するわけにもいかないから、私はいったん着替えに戻る」
「戻るって、家に?」
「そうだ。君の事も早く城の者に報告しておかなければいけない」
 カテリナは不満げな表情を見せ、
「王子様にすぐに面会って出来ないの? 人を呼びつけておいて」
「王子は何をするにも予定があり、約束がいる」
「私も明日はバイトがあるわ」
 小馬鹿にしたような顔をし、
「でも、今日中には会えるんでしょ?」
「早くても夕方、晩餐をご一緒することになるかもしれない」
「晩餐? 面倒臭いわね」
 普通の娘であれば喜ぶことなのだが、カテリナは盛大にため息をつく。
 気づけば店の玄関まで来ていた。
「朝食は――」
「外で食べろって。ここ、夜中まで店開けてるから朝食はしてないの」
「そうか」
 連れだって店を出る。
「この辺で朝食が食べられる店は――」
「ウォルフの家でいいわよ」
「わ、私の家!?」
「奥さん、いるんでしょ?」
 カテリナの言葉に私は首をひねる。
「……そんな者はいないが」
「嘘! じゃ、誰へのお土産だったの? あのブローチ」
 昨日、カテリナに見立ててもらって小間物屋で買ったのだ。小さな淡い桃色の石と虹色のガラスを編みこむように連ねたブローチを。
「……姉だ」
「姉? お姉さんの為にあんなブローチ買ったっての?」
 高らかな笑い声。
 家を飛び出し転がり込んだのは騎士をやっていた叔父の家だった。姉、というのはその叔父の妻であるアンナのことだ。彼女は『おっかさん』を地で行く人で、家を持ってからも世話になりっぱなしなので何かの折には彼女にプレゼントを贈るのが決まりごとのようになっていた。
 最近、彼女は私の結婚の話でうるさい。家に帰ればまた、大量の見合いの書類が郵便受けからはみ出しているかもしれないし、姉本人が待ち受けているかもしれない。
 考えると嫌な予感がして、
「君はついて来るな。姉に会ったら面倒――」
「ウォルフ!」
 言っているそばから姉の声が背中に掛かる。私が姉の声を聞き間違えるわけが無いのだが、そのときほど聞き間違いであって欲しいと願ったことは無い。
「ウォルフ!」
 こちらが逃げ隠れできないほどの距離にまで近づいてきているのに、先ほどと同じ大きさの声を上げる。早いとはいえないが、まだ朝。近所迷惑この上ない。
「ウォルフ!」
 三回目はすぐ背後。肩で息をしながらだった。走ってきたのだろう。
「お早うございます」
 振り向き何事も無かったかのような笑顔で挨拶。
「こちらはカテリナ・ローゼンバーグ殿。王子のお招きでこちらにいらっしゃるため私が案内を――」
「まぁまぁまぁ、カテリナさん? あなたお幾つ?」
 姉は話を聞いていない。
「姉上!」
「まぁ、いいじゃないのウォルフ。私は今年で二二ですわ」
 カテリナがいたずらを思いついた子供のような顔をする。
 問題を混迷させる気だ。
「まぁまぁまぁ」
 姉の口癖。
「あなたのお相手にぴったりなお年頃の娘さんね!」
「いや、姉上。カテリナ殿は王子の招きで――」
「愛妾が九人もいるような方のことはどうでもいいのよ」
 王子に対してこの言いよう。姉は怖いもの知らずで、誰に対しても容赦ない。
「それよりも問題はあなたよ、二八歳にもなって妻が一人もいないんじゃ格好がつかないでしょ? 騎士としても、男としても」
 余計な世話だ。それに妻は一人で十分だ。
 口元まででかかった言葉を呑み込む。妻をめとる気はまだ当分無いのだと何度、どんなに平たく説明しても理解してくれないのだ、姉は。
「まぁ、奥様がいらっしゃらないんですか? ウォルフ様には」
 カテリナを睨みつけるが、彼女は嬉しそうに微笑んでいる。悪魔の笑みだ。
「仕事がありますからこれで……」
「これでって、家にお連れするところだったんでしょ? こっちに向かっているってことは?」
 城とは反対方向の道の上。
「……微妙に違――っ痛」
「そうです」
 カテリナに足を踏まれ、否定しようとしていた言葉を肯定される。
「ウォルフ殿が朝食をご馳走してくださると」
 そんなことは言ってない。
「まぁまぁまぁ……仲がいいのね?」
 妙な笑顔で私の顔を覗き込まれても困る。
「それではこれで」
 カテリナを促し、姉のそばを離れる。声が聞こえないくらい離れたところでそっと後ろを振り向くと晴れやかな顔で微笑む姉の姿。盛大にため息をつく。
「まったく、君は何がしたいんだ?」
「ウォルフのうちで朝ごはんが食べたいのよ。有名料理店の料理ばかり食べてるとね、たまには素人料理も食べたくなるの」
「そんなものか?」
「そんなものよ」

 途中マーケットに寄って食材を買い込み、アパートにたどり着く。
「あなた、アパート暮らしなの?」
 驚きを隠せない表情のカテリナ。
「帰って寝るだけなのに家を持つことは無いだろう?」
 一階の一番奥が私の部屋だ。日当たりがほとんど無いから、借り手がなかなかつかなかったと部屋を借りたとき、大家の爺さんがぼやいていた。
 預けておいた鍵を爺さんから受け取り、部屋に入る。十日ぶりの部屋は相変わらず愛想が無い。朝だというのに灯をともさなければならない暗さ。
 郵便受けの手紙を振り分け、姉からの手紙は開けずに直接ゴミ箱へ放り込む。
「何、このシンプルさ! 何も無いじゃない!」
 私の後をついてきたカテリナは素っ頓狂な声を上げる。
 ここには帰って寝るだけだと先ほど説明したはずなんだが。
 台所へ買ってきた食材を持っていき、簡単に朝食をつくる。レタスとトマトだけのサラダにプレーンオムレツ、珈琲、買ってきたクロワッサンを添えて、テーブルに置く。
「うっわー! 感動すら覚えるわ、このメニュー」
 嫌味にしか聞こえない。
 数種のフルーツが一口大に切られ、盛り付けられ売られていたそれをテーブルの真ん中に置き、椅子に座る。
「これだけ?」
「あぁ」
「ふぅーん。ところで私の椅子は?」
「そこら辺にあるものに腰を下ろしてくれ」
 きょろきょろと辺りを見渡すが、気に召すような椅子の代用品が無いらしくカテリナはパンパンと手を鳴らし、椅子を出現させる。昨日、夕食のときに屋敷で座っていたものだ。
「もうちょっと明るくするわね」
 指を鳴らすと昨日、物置に出現した光球が頭上に三つ現れる。
「さ、これで朝っぽくなったわ」
 確かに明るい。この明るさで見るとこの部屋の物の無さが非常に寂しい。
「さっきマーケットで会った男に君が来たことを城に伝えてくれるよう頼んでおいた。ここで待っていれば連絡が来るだろう」
 食事をしながらの会話など何年ぶりだろうと、ふと思う。
「あれから考えてたんだけど――」
「何をだ?」
「王様の女癖の悪さについて。百年くらい前まではよく登城してたのよ、ニナ・ルッツ。なんでお城に行かなくなっちゃったのかしら?」
「私に聞かれてもわからない」
「そうなんだけど……鍵、何なんだろう?」
 デザート用のフルーツ盛り合わせから苺だけ選り分け、口に運びながらカテリナは言った。彼女が悩んでいるとは思えない。

「連絡が来るまで何するの?」
 私が食べ終わるのを待って、カテリナが声を上げる。
「何って……」
 言葉に詰まる。
「その辺にある本でも読んでいてくれ」
「本? 剣技やら、武術の専門書を私に読めって?」
 確かにそんな本しかこの部屋には無い。それらも叔父から貰い受けた品なのだが。
「嫌ならば魔法で何でも出せばいいだろ?」
 私の言葉にカテリナはむっと顔をしかめる。何が気に障ったのだろう?
「……ウォルフはどうするの?」
 低い声で問われる。
「私は――」
 休日は散歩がてらに競馬場や闘技場に向かうのだが……行くわけにも行かないだろう。
「することが無い」
 私の声にカテリナは嬉しそうに顔をほころばせる。
「じゃ、久々の王都なんだし、案内して」
「だが連絡を待っていなければ――」
「さっきのお爺さんに頼んでおけばいいでしょ? どうせ早くても夕方まで登城は出来ないって言ってたじゃないの」
 押し切られる形で散策することになってしまった。

「百年もたてばずいぶん街の様相が変わったわね。あら、あの演劇場、前のほうがおもむきがあって良かったのに!」
 街の案内を始めて数分で思い知らされたことがある。カテリナは私より街について詳しい。安価なガイド誌を購入し、それを読み上げていた私が悪いのではあるが、古の魔女ニナ・ルッツは確かにこの街へ良く来ていたらしい。
「有名な建築物は百年以上前に出来ているからな」
 嫌味のような台詞を思わず吐いてしまう。
「けれどずいぶん建物も変わったし、人も増えたわ」
 懐かしそうな瞳。
「どうして百年もここに来なかったんだ?」
「さぁ……あら、あれ――」
 指差しているのは中央公園の噴水の真ん中にそびえ立つ巨大なオブジェ。巨大な彫像の女の周囲に水が湧き上がり、その周りに彫刻で出来た鳥が集い、彫刻の花々が咲き乱れている。
「あれ、ニナ・ルッツよね?」
 戸惑い顔で尋ねられ、ガイド誌を開く。
「『古の魔女を愛しんで王が創らせた』ものだそうだ」
「……愛しんで? どういうことかしら? 確かに歴代の王とは親しくしていたけれど、こんな彫像を創られる覚えはないわ」
 じっと見つめていたが何も思い出せないらしい。
「この彫像が創られたのはいつ?」
 手元のガイド誌によると、
「『公園が作られる五年前』だから――」
「公園は後で作られたの?」
「そうらしいな」
 計算をやめてカテリナを見る。先ほどよりも深刻そうな顔をして、
「何があったのかしら? 早く鍵を思い出さなきゃダメね」
 行きましょう、と歩き始める。
 彫像のために公園が作られたともなると、確かに事態はずいぶんややこしくなる。
 どこへ向かうのかわからず、私はカテリナの後を追いかけた。

 たどり着いたのは王立図書館だった。
「彫像が作られた頃の事を調べれば、何かわかるでしょ」
 図書館の案内図を見ながら、配置が変わったのね、なんて言いつつ調べ物を始めた。私などはどこから手をつければいいか戸惑うが、流石は魔女。一日の大半を研究で費やすと言われているだけあり、調べ物は手馴れている。
 さっさと五冊ほどの年鑑を探し出し読み漁り始める。私でも五冊持つと重いと感じるほどの分厚く、大きな本に小さな文字でびっしり文字が書かれている。見つめているだけで頭が痛くなってきた。彼女の指定する本を運び、元に戻す係りに私は徹する。騎士としてはあるまじきことだが。
「この本はもういいわ。ゴシップ系新聞の年鑑は残っていないのかしら?」
「ゴシップ系?」
「あんな彫像を立ててゴシップ誌が騒がないはずが無いでしょ?」
 まるで他人事。
「なるほど」
 司書にそれを尋ねるが、ここ三十年ほどのものしか残っていないと告げられる。それをカテリナに伝えると、彼女は疲れきった息をつき、
「じゃ、日記や日誌でも見るしかないわね」
「日記や日誌? いったい誰の?」
「ゴシップ好きな人――」
 ぱっと顔を輝かせる。
「アンナの店に戻るわよ」
 片付けもせず歩き始める。
「片付けは?」
 背中に声を掛けると、カテリナは両手の指を鳴らした。本は空を滑るように飛び、もとあった場所へ収まってゆく。
 私は大股で歩いてカテリナに追いつく。
「……魔法って便利だな」
「あなたが思うほど万能じゃないのよ、案外ね。今回は収まっていた場所を本たちが覚えてたからできたの」
 ニコリと微笑む。
「君のコックと同じか」
「そうよ」

 気づけば昼も過ぎていたので、途中喫茶店へ寄る。
「朝はとんでもない内容だったから、今回はまともに食べるわよ」
 妙に意気込みながらメニューを物色している。
「これ何?」
 指差しているのは去年辺りから流行っている、南の国の伝統料理だとかいう代物。それを説明すると、
「じゃ、こっちは?」
 東の国の名物料理だ。十数年前に友好を結んでからあっという間に、なじみ深い物になった。
「……王都には珍しいものがあるわね。どうして私、百年も来なかったのかしら?」
 カテリナはいぶかしがりながら、知らない名前の料理を片っ端から注文してゆく。
「そんなに食べるのか?」
「心配しなくても大丈夫よ。お金は持ってるから」
「いや、量がだな……」
 男でも食べ切れない。夕食、朝食を見る限りでは大食いの兆候などなかったのに。
「さすがに今、全部は食べないわよ」
 おかしそうに笑い、運ばれてきた料理を一口づつ食べてゆく。
「もしかしてそれ、残すのか?」
「残さないわよ」
 心外だとばかりの表情をし、両手の人差し指を立ててくるくる回す。すると料理は、濃い霧が晴れるように皿の上から姿を消してゆく。
「――なんだ?」
「時空に封じたの。いつでも好きなときに取り出して食べられるのよ」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「面白い魔法でしょ? 開発するのに十五年ほど掛かったんだから」
 言いつつも一口だけ口をつけ、料理を消してゆく。
 店を出たのはそれから一時間ほどしてからだった。

「まだ開けてないよ」
 店のドアを押し開けるとベルがカランカランと鳴り、奥からアンナの声がした。
「アンナ、私よ!」
 カテリナが声を掛ける。アンナは準備の最中だったのだろう。作りかけの鍋を片手に現れる。
「何? なんか用なの?」
 ずいぶん愛想の無い言いようだが、言葉通りでないのは顔を見ればわかる。昨夜に比べればずいぶん愛想のいい表情。
「ロルフ、日記書いてたでしょ?」
 アンナは誰だ、と言った表情を一瞬見せたものの、
「――曾爺さんのことかい? 私にゃちょっと……処分してなきゃ、物置の中にあるだろうけどさ」
「物置って『通路』のことよね? わかったわ、勝手に探すわよ」
 勝手に二階へ上がっていく。
「店は四時から開けるから、それまでに片付けてよ」
「わかったわ」
 四時というと後二時間も無い。『通路』というのは、あの魔方陣のあった乱雑な物置部屋ことだろう。あの中から日記帳を探し出すのかと思うとげんなりした。

 扉を開けると昨日同様、すさまじい埃が舞い上がる。
「ゲホ、コホッ……まったく何でも押しこんどきゃ良いってもんでもないでしょうに」
 カテリナは両手の指を鳴らす。
 荷物たちは空中に浮き上がり、きっちり隙間なく積みあがる。が、数冊の本は空中を滑るように私の目の前にやってくる。思わず差し出した手に、どさりと重さが加わる。
「これが日記か?」
「そうよ」
 先に立って階段を下りていくので、私はついていくしかない。
「アンナ、ロルフの日記借りていくわよ」
「はいはい。別に返さなくっても良いわよ」
 奥から顔を出すことも無く、アンナの声が返ってくる。
「まったく、価値ってものがわかってないんだから」
 カテリナは不満そうにつぶやく。
「価値?」
 この日記に価値があるというのか?
「記録は全て価値があるの。古きことを知ろうと思えば、個人の日記を読むほうがいいのよ。史記なんて王様に都合のいいことばかり書いてあるから、いまいち役に立たないのよね」
 個人の日記には余分なことも多いけど、とにんまり笑う。
 私の部屋に着き、日記帳をあけてその意味を思い知った。ロルフは食事のメニューばかりを日記に書いていた。

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 四月二一日

 朝 根菜のスープ、クロワッサン、
 昼 キノコのパスタ、
 夜 鶏肉のリゾット、根菜サラダ、赤ワイン

 聖堂で小火騒ぎ。犯人は酒屋の悪ガキだろう。

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 日記ってこんな風に書くものなのか?
 小さな頃書かされていた日記はこんなメモのような書き方をすれば怒られたものだから、ずいぶん無い頭をひねったものだった。弟の日記をそのまま写した時にはずいぶん怒られた、何てことも思い出す。
 日記に目を戻す。
 延々、食事のメニューが続く。せめて、美味いとか不味いとか書けないものなんだろうか。

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 八月七日

 朝 トマトのオムレツ、バターブレッド、
 昼 サラダパスタ、スイカ、
 夜 バターブレッド、まぐろのステーキ、根菜サラダ、白ワイン

 惚れ薬など可能か? 大臣も苦労性だ。

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 奇妙な記述を見つけ、
「これはなんだ?」
「何?」
 カテリナは覗き込み、
「――鍵じゃ無いけれど……近いわね」
「近い?」
「なんか、こう喉元まで出掛かってる感じなのよ。何なのかしら……?」
 私が見ていた日記を奪い取り、パラパラとめくる。
 ちょうど十日後の日記には、
「『マリアにトラブル。こうなるだろうとは思っていた』」
「マリアとは誰だ?」
「ニナ・ルッツよ」
「じゃあ、ニナ・ルッツにトラブルがあったってことか?」
 わからない、と首を振りながら、
「気持ち悪いわね、思い出せないって」
 大きくため息。
「――いったい何があったのかしら?」

 ノックの音。
 時計を見と五時過ぎていた。
 瞬時に灯りが消え、カテリナはニナ・ルッツの格好になる。
「どうした?」
「お城からの使えの者かも知れないでしょ?」
「まぁ、そんな時間ではあるが……」
 出てみると、騎士見習のミハエルだった。私同様、田舎を飛び出してきた少年で、今年で確か一四歳になる。騎士見習は雑用係を兼ねさせられている事が多いから、ほとんどのものが一年もすれば挫折して田舎に帰ってしまう。半年目のミハエルは今、思案の最中だろう。
「これをエアハルト王子からお預かりしてまいりました」
 シンプルだが上質な封筒に入れられた手紙を受け取る。ニナ・ルッツ宛てになっているが、勝手にあけて中を見る。予想していた通り、晩餐への招待状。
「ニナ・ルッツ殿、あなたはドレスをお持ちか?」
 奥へ呼びかける。
「この装いではいかんのか?」
 感情の無い声が暗闇から響く。気味が悪い事この上ない。
「……ニナ・ルッツ殿はどのような装いをされていらっしゃるんですか?」
 暗闇に目を凝らしていたミハエルだったが、やがて諦め顔になり、小さな声で私に問う。
 私は軽く肩をすくめ、同じく小さな声で、
「簡単に言えば、エルザ様をもっと薄気味悪くしたような格好だな。ドレスと言われば、そう見えないことも無い」
「……」
 ミハエルは言う言葉が浮かばない様子で、難しい顔をする。それは私も同じで、
「エアハルト王子の招待であれば問題ないだろうが……」
 ちらりと奥へ視線を投げる。
「古の魔女らしい格好だからな」
「……そうですか……」
 わかりました、ときびすを返す。おかしなことに係わり合いになりたくないのだろうが、それは私も同じだった。
 扉を閉めると、再び灯りが出現し、カテリナはもとの服装に戻った。こっちのほうが断然いい。

 日記には、他にめぼしい記述は無かった。
 晩餐は七時からだが、六時半までには登城し無ければならない。城まで歩いて三十分ほど。カテリナが日記を読んでいるうちに私は着替えを済ませる。
「そろそろ出るか」
 声をかけると、
「ニナ・ルッツの格好のほうがいい?」
 瞬時にあの黒ずくめになる。
「……その格好で街を歩く気か?」
「隣に並んで歩いたら、ものすごい嫌がらせよね?」
 騎士の正装をした自分と、その隣を歩く怪しい黒ずくめ。私の名が知れられている分、後で何を言われるかわからない。
 カテリナはケラケラ笑い、元の格好に戻る。
「さ、行きましょうか。ニナ・ルッツには城の手前でなればいいでしょ?」
「そうしてくれれば有難い」

「ずいぶん建物が増えたわね」
 城を見て、懐かしげな声をあげる。
「王妃と愛妾の部屋がここ百年程で増えたからな。建て増しが多すぎで、迷う部屋使いもいる」
「それは大変ね」
 他人事のように。
『惚れ薬』『トラブル』『思い出したくないこと』と三つそろうと、ニナ・ルッツが王達の女好きの原因を作ったとしか思えないのだが。
「確証も無いのに人を疑うのは良くないわよ」
 私の顔を見ることなくニナ・ルッツは言い据え、人がいないのを確認すると、一瞬で黒ずくめになる。
「参ろうか、ウォルフ殿」
「……そうですね」

 控えの間に通される。謁見の間の隣にある小部屋、といっても私のアパートに比べるとずいぶん広い。赤銅色のビロードのソファーに腰をかける。
 この部屋に入ったのは数えるほどしかない。天井の下げられた細かな細工の施されたシャンデリアは見事。季節ごとに家具は入れ替えられるから、四季の間とも呼ばれている。誰もがため息を漏らす素晴らしさ。
「ずいぶん派手になったわね、この部屋」
 小さな声でカテリナは呟く。だから私も小さな声で尋ね返す。
「来たことあるのか?」
「百年程前まではよく登城していたと言ったでしょ? 昔は質素過ぎるくらいだったのよ、ここ」
「その頃の王は質素倹約を好んでいたらしいな」
 歴史の授業で習った。
「美術品には目が無かったんだけど、飾り立てるのは嫌いだったみたい」
 とりとめも無い話をしていると、名を呼ばれる。
 王子の名前で晩餐に呼ばれたのだが、食事は王もご一緒らしい。古の魔女ニナ・ルッツは思っていたよりも有名だということを改めて思い知らされる。

 晩餐の用意された部屋には王と十四人の王妃、王子とエルザ、王の妹君夫妻、その他招かれた三十名余りの人々が顔を揃えていた。女性が多いと華やかではあるが、化粧と香水の濃い香りに気分が悪くなる。
「ようこそお越し下された、ニナ・ルッツ殿」
 王自ら席を立ち、手招かれる。こんな怪しい人間に対してもずいぶん寛大な方だ。いや、ニナ・ルッツが女だからなのか?
 ニナ・ルッツは慣れた様子で王の隣に腰をおろす。片田舎の小間物屋でバイトをしている娘に出来る振る舞いではない。
 自分はそんな人物に適当な朝食を出し、普通に話をしていたのだが……問題はなかったんだろうか?
「ニナ・ルッツ様、王の前でそのような目深な被り物は失礼ではございません?」
 嫉妬深い事で有名な第三王妃のエリザベートが声をあげる。ニナ・ルッツの怪しい雰囲気などものともしていない。
「……構わぬだろう?」
 ニナ・ルッツは感情の無い声で王に尋ねる。王はかまわない、と頷うなづくが、エリザベートは引き下がらない。仕方がない、といった態度でニナ・ルッツは被り物をとる。
 現れたのは魔術的な化粧を施した顔。ジャラジャラした怪しいアクセサリーが耳元に重くぶら下がっている。
 近寄りたくない、知り合いになりたくない、というのが一目見た感想だろう。が、
「我が妻にならぬか?」
 王が声をあげる。
「いえ、父上。ニナ・ルッツ殿は私の妃に迎え入れたい」
 王と王子は一体何を言っているのだろう。父子が言い争いを始めるまでその場にいる誰もが言葉の意味を図りかねていた。
 いくら女好きとは言えど、会ったばかりの怪し過ぎる女に求婚するなど理解できなくて。隣に座っていた王の第十四王妃に、王は何を言い出されたのか、という視線を向けられる。
 私にも答えられない。
「思い出した!」
 澄み渡った若い女性の声に父子はぎょっとニナ・ルッツを振り向く。
「私のせいね、本当に……」
 カテリナは大きく円を描くように手を交差させ、両手を胸の前で組む。
「――――――何?」
「――あれ?」
 直後に素っ頓狂な声をあげたのは王と王子。
「どちらの申し入れもご辞退いたしますわ」
 ニナ・ルッツは言い置いて、戸惑う二人を残し立ち上がる。
「私はこれにて失礼させていただきます」
 歩き出した彼女を追いかけるように、私も慌てて席を立つ。コック長の腕によりをかけた料理にはずいぶん後ろ髪引かれる思いだったが。

 城を出たところでカテリナは元の格好に戻る。異様な化粧も瞬時に消える。
「こっちの格好のほうが楽で良いわ」
 軽いし、と笑う。見た目も悪いが着ている本人も窮屈らしい。あれほどアクセサリーをつけてれば当然だろう。
 アンナの店に向かいながら、
「で、何が鍵だったんだ?」
 私は尋ねる。
 予想していた通り、王達の女好きはニナ・ルッツが原因だったようだが。
「鍵はね、『我が妻にならぬか?』よ」
 王の言葉だったわけか。
「質素倹約を旨としていた王がね、女は金がかかると言ってなかなか結婚しなかったの。だから大臣の一人に言われてニナ・ルッツは惚れ薬を作ったの」
 そこで苦笑する。
「出来たのは良いんだけれど、人によってずいぶん個人差があったのよ。でも大臣の矢のような催促に負けて、それを持って登城したの。その日はちょうど隣国のお姫様とお見合いをすることになっていたから、王様の飲む紅茶にそれを一滴入れたのよ」
 でも、とカテリナは肩をすくめる。
「王様はお姫様じゃなくて、何故だかニナ・ルッツに惚れちゃったの」
「……『我が妻にならぬか?』か?」
「そうよ。惚れ薬の効果を消す研究に生涯を費やしたんだけれど、結局出来なくて、記憶を受け渡す際に封印しちゃったのね」
「だが、先ほど――」
「あれはね、その後のニナ・ルッツが開発した、『すべての効果を消す魔法』よ。最初は毒消し用の魔法として開発したんだけれど、妙に強力になっちゃって。使い道に困ってたのよね。でも、それが今回役立ったわけだけれど」
 帯に短し、たすきに長しか。
「それにしても惚れ薬の効果が遺伝してるとは思わなかったわ」
「でも良かったのか? あのままだと君は王妃になれたのに」
 冗談めかして聞いてみる。
「あらあら、あなたは国を分裂させたかったの? あのままだと確実にニナ・ルッツをめぐって父子で争い事を起こすところだったわよ」
 カテリナも笑いながら答える。
「君は国を救ったわけか」
「その通りよ」
 冗談を言い合っているうちに、アンナの店が見えてきた。繁盛しているようだ。店の客を避けて二階へあがる。
「バイト、忙しいのか?」
 私の言葉にカテリナは弾かれたように振り向く。
「……王都案内、またしてくれる?」
「あぁ、それは構わないが……」
 私よりも詳しい人間に案内など必要は無いと思うが。
「良かった。今日はとっても楽しかったわ」
 歳相応の満面の笑顔。
「じゃ、またね」
 魔方陣から薄い光が漏れ始めたところで、私は声をあげる。
「待ってくれ!」
「何?」
 振り向いた顔はなぜか嬉しげ。
「私の馬が――」
 昨日の夜、カテリナの屋敷の玄関先につないだままになっているはずだ。野宿しようと水桶に餌は与えておいたから大丈夫だとは思うが……。
「なんだ、そんなこと。いいわ、近々連れてきてあげる」
 照れくさそうにほほ笑んで、宙へと消えた。

『魔女の鍵』をご覧いただきありがとうございました。〔2004-02-16〕

2004-02-16 400字詰め原稿用紙で10枚程度の作品を書こうと思いついたネタで、書いてるとこんなに長くなってしまいました。私の書くファンタジー=魔女物ばかりなので、戦士か騎士を主人公とした話を書こうと思っていたのに、ウォルフの影、ずいぶん薄いです。騎士って難しい…。
当初、ウォルフは30前半、カテリナは中学生くらいの年齢にしようかと考えていたんです。捨てがたい構図だったけれど、話が続かなければどうしようも無いですね。

2006/06/15 改稿

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